ホンマの気持ち? 4



「ダブルス1、俺の代わりに千歳の名前を登録してんか」
 選手入場口前で監督を見つけた謙也は、開口一番そう言った。
「みんなかて思うとるやろ? なんも言わんと勝ち逃げされたら腹立つて」
 謙也は振り返って、近くにいたチームメイトたちにもそう言い放つ。
 真っ先に反応したのは、肩を組んでいたダブルス2のふたり。
「そうよねぇ、うちらに一言も言わんと辞めるなんて、認めるのもシャクよね、ユウくん」
「だったら俺らかて、千歳に何も言わんと名前登録しとったって、ええよなぁ、小春」
 その隣にいた銀も静かに頷いて言う。
「ケジメつけるんは大事やけど、ホンマにやりたいことが見えんようになっとるようや。我々で気づかせてやるべきやな」
 そして――軽く笑ったその瞳を、スッとに向けてきたのは。
「ホンマ、あいつ素直やないから、苦労するわ。せやけど、このまま逃げるんはなしやで。橘よりつき合い短くても、俺らのほうが大事やて、気づかせたる」
「白石……」
 その言葉が嬉しいのと同時に、みんなの気持ちが解ってなかった自分が情けなくて、は泣きそうになってしまう。
「監督! お願いします」
 再び振り返って、謙也がオサムに頭を下げた。
「アイツに渡された紙切れなんぞ、とうにゴミ箱行きや。お前達がええんやったら、オーダーは変更やな」
 オサムは咥えていた煙草を灰皿にキュッと押し付けると、立ち上がり、入場口へと入っていった。
「謙也、ありがとう」
 が謙也を見上げながら礼を言うと、謙也は静かに頷いて笑みを返した。
「ほな、先行っとるで」
 ポンッと謙也が少し強めに葉介の左肩を押す。その勢いに押されたが思わず顔を上げた左側に立っていたのは、優しい微笑みを浮かべた白石で。
「白石――ゴメン、俺……」
 言葉が続けられず、は俯いてしまう。
「なぁ、の考えること、解らんでもないんや。俺の邪魔したないとか、そんなとこやろ?」
 言い当てられ、は恐る恐る顔を上げた。の視線に気づいた白石は目を逸らして伏せると、フウッとため息をついてこう告げた。
「けど……一生は、ちょおこたえたわ」
「取り消す! 俺かて、白石とやるの楽しくて、好きや!」
 は思わず叫んでいた。けれど思い出す。
「けど……けど、白石の足引っ張るの、イヤや……」
 じわりと、視界が滲む。でも、泣いてはいけないとグッとこらえた。自分の力が足りないことで泣くなんて、情けなすぎる。
 勝ったモン勝ち――監督が口にする四天宝寺テニス部の精神。
 当たり前のことだが、勝利を手にした者こそ、すべてを手に入れることができる。つまり負けた者は、どう言い訳しようと敗者であり、なにも選ぶことはできない。
 負けたくない、勝ちたい。チームが勝つためには、常に最善の方法を選ぶ。それが、自分が試合に出ないという選択肢でも。
 だってテニスが好きだ。試合にだって出たい。けれど。
「……俺ん実力じゃ、まだ白石と組んでも勝てへん。せやから、いまは無理や」
 白石をしっかり見据えて、はっきりと告げた。
 辛いけれど、それが現実。
 けれどいつか――いまは無理でも、いつかきっと、白石とダブルスができる力を身につけて、試合に出る――その決意を胸に秘めて。
 まじまじとを見下ろしていた白石が、フッと笑う。
「……なぁ、。俺かて、いつもいつも『完璧』なんて、つまらんことするのイヤやで」
 白石はの肩に手を置くと、そっとその顔を近づける。
「もっとハラハラドキドキすること、としたいんや」
「――ッ!」
 耳元で囁かれて、は思わず耳を押さえて後退る。
 白石は気を悪くした様子もなく、そんなを眺めながらニコニコと笑みを浮かべていた。
「ええと、白石……それ、テニスのことゆうとるんやろ…?」
「もちろん――」
 恐る恐る尋ねたに、白石は満面の笑みで答える。
「それ以外もや!」
 そう言い切った途端、白石は素早くの頬にキスをした。
「しっ、しら――っ!」
 顔を真っ赤にしたは慌てて周囲を見回す。幸い――なのかどうか解らないが――目が合った人物はいなかった。
 だからと言ってどうしたらいいのか解らず、戸惑ったままのの目の前に、包帯の巻かれた白石の左手がスッと差し出される。
「ほな、勝ちに行くで」
 悔しいけれど白石には敵わない――そう思わされてしまうのはこんな瞬間。
「ああ」
 顔を上げて、は白石の手をパシッと叩くと、一緒に走り出した。


 をスタンドに残して、白石が準決勝のコートへ向かう。
 白石は天才と呼ばれる不二を圧倒し、ラブゲームでマッチポイントをむかえた。このまま白石が勝利すると思われたところで、不二の反撃は始まる。5−0から5−5まで追いつくという、猛追撃。
 動揺を見せた部員たちを謙也が一括したように、レギュラーたちは白石を信じていた。もちろん、も。
 長く続いた攻防のあと、不二の返球がアウトだったことで、ゲームカウントは7−6、白石の勝利が確定した。
 けれどコートから帰ってくる白石の表情はまるで冴えない。最後の打球、結果的にはアウトだったが、不二は攻めてきていた。そのことに気づかず油断していた自分自身が許せないのだ。
 勝利に沸く四天宝寺のスタンドで、白石の周囲だけがひどく冷静だった。
(なんて、厳しいんや……)
 グッと唇を噛む、悔しそうな白石のその仕草に、は泣きそうになってしまう。ゆっくりと戻ってくる白石に、掛ける言葉も見つけられないまま。
「勝ったモン勝ちや」
 謙也の力強い言葉は、白石だけでなく、の胸にも重く響いた。単純だと思っていた言葉が、時には楽しく、時にはこんなにも重たくなるなんて。
 けれどそのおかげで、も大事なことを思い出した。
「白石――」
 そっと、は白石へ手を伸ばす。
「お疲れさん。ありがとう」
 コートから戻ってきた白石の顔に、ようやく笑顔が戻る。
「ああ」
 頷いて、白石はの手を叩き返した。


 青学との準決勝。
 シングルス3は白石の勝利。
 ダブルス2と、シングルス2は青学の勝利。
 そして迎えたダブルス1、電光掲示板に発表された四天宝寺の選手は財前と千歳だった。
「千歳やてぇ? ケンヤくんやなかったんかいな?」
 次々と驚いた声をあげる部員達。
 けれど誰よりもその発表に驚いていたのは、千歳だろう。
 戸惑う千歳の背後から、その名に相応しく一瞬で姿を現した人物が声を掛ける。
がゆうとったで。強いヤツがコートに立つのは当たり前っちゅーもんや。やりたいんやろ? 手塚国光と」
 それは確かに、無我を探求し続けた千歳にとって、魅力的な誘いだった。けれどチームの勝利よりも、自分の探求心を優先してしまった前回の試合で、自分は四天宝寺には相応しくないと解り、退部届を出したのだ。
 まだ千歳が躊躇っているのを見て、謙也はさらにこう続けた。
「それに……なんも言わんと辞めよるなんて、千歳は俺らんことはもう仲間やと思うてへんのかとに泣かれてなぁ。これはもう、お膳立てするしかないやろ?」
 その言葉に、千歳の身体からフッと力が抜ける。視線を動かすと、ベンチの近くのスタンド席から、心配そうにこちらを見上げているの姿を見つけることができた。
 目の治療のために来た大阪。
 自分の心は九州にあって、テニス部に入部するのは橘桔平ともう一度試合をするためだけだと、そう思っていた。仲間になんてそう短期間になれるはずはないと思っていたし、適当に合わせて波風さえたてなければいいと思っていた。
 そんな千歳にいつも真っ直ぐに話しかけてきた小さな。見上げてくる真剣な瞳が、九州に置いてきた妹に似ているものを感じさせ、あっという間に千歳の抱えていた壁を取り払ってしまった。
「やれやれ……に泣かれたら、戻らんわけにはいかんばい」
 観念したように呟いて、千歳はコートに向かって走り出した。
 駆け下りて来る千歳を見たは、嬉しさのあまりうっすらと瞳を滲ませる。
「なんや、俺には面白くない展開になっとるようやけど――」
 やれやれといったふうに呟いた白石は、ニヤリと笑って隣にいたの身体を抱き寄せる。
は絶対渡さへんからな」
「ちょっ、白石!」
 誰にともなく告げられたその宣言と、突然引き寄せられたことに焦り、は顔を真っ赤にして白石から離れようとする。だが、の腰に回された白石の手はビクともしない。
 それどころか、平然と笑ってこう言ったのだ。
「なにしろ、一生組まん!を取り消したんや。俺ら一生組むんやからな!」
「えっ! ちょ――なにゆうとるんや!」
「違うん?」
「それは! その! だからっ……」
 確かにそうは言った。は白石に、一生組まないと言って、それを取り消した――それは事実だ。でも、だからといって、一生組むのかどうかは……困惑と混乱と動揺とで訳がわからなくなっていたの耳に聞こえてきたのは、金太郎の脳天気な声。
「なんや、ジブンらまたフーフゲンカしとるんかぁ?」
「金ちゃん!」
「やれやれ、才気煥発を使わんでも、結果は見えるたい」
 ユニフォームに着替えてコートに姿を現した千歳も、そんなふうにからかう。
 真っ赤になって俯いてしまったを、楽しそうに見守るレギュラー陣――そんな四天宝寺中テニス部の日常は、これからも続いていくようである。




*あとがき*   続きを待っていて下さった方、ありがとうございました!ようやく白石が美味しいところを持っていって、白石夢っぽくなれたかと。続きも、また書いてみたいですね〜。