「微熱」       /// 越前リョーマ<連載主人公番外編>


  「ああ、まだ誰も帰ってきてないみたいだ。とりあえず上がって、リョーマ」
 ぼくは鍵のかかっていた家の扉を開けて、リョーマを招き入れる。
「ちょっと待って、タオル持ってくる」
 急いで洗面所へ向かうと、積んであるバスタオルを二つ取り、玄関に立っているリョーマのもとへと戻った。
「使って」
「ありがと、
 ぼくからタオルを受け取ったリョーマは、濡れた髪を軽く拭いたあと、身体についた滴を落としている。
 その姿を見て、ぼくも濡れてしまった自分の髪を拭き始めた。
 学校の帰り、ぼくの家に遊びに来る途中で、突然降り出してしまった激しい雨。
 幸い家の近くまで来ていたから、びしょ濡れというほどひどくはないのだけれど。
 ざっと身体を拭いたぼくたちは、二階のぼくの部屋に上がる。
「シャワー浴びる?」
 ぼくが尋ねると、リョーマはじっとぼくを見つめた後、答えた。
「いいよ、そこまで濡れてない」
「そうだね、でも着替えたほうがいいよね」
 ぼくはタンスから適当な着替えを探す。Tシャツとハーフパンツを選んで、リョーマに差し出した。
「これでいいかな?」
 リョーマはただ頷くと、それを受け取った。
 その姿に少しだけ違和感を覚えたものの、ぼくも着替えようとシャツのボタンに手をかけた、そのときだった。
「――ッ!」
 背後から突然回された腕に、ぼくは動くことができなくなる。
「……りょ、ま…?」
 雨に濡れて冷えた身体――のはずなのに、リョーマに触れられている背中も腕も熱い。
 心臓がドクドクいってるのは、驚いたせいじゃない。
「無防備すぎるよ、
 それは、とても小さな声だった。
「意識してんのは、俺だけ…?」
 けれど、はっきりと伝わってくるリョーマの意志。
「…えっと、あの……」
 答えを探すものの、どうしていいか解らなくて、ぼくはなにも言えないままで。
「ゴメン、冗談」
 軽い声とともに、ぼくに回されていた腕がするりと離れた。
「これ、借りるね」
 リョーマはそう言って、ぼくの背後では着替えをしているような音が聞こえてくる。
 それでもぼくは、ボタンに手を掛けた状態のまま、動けずにいた。
も早く着替えなよ、風邪ひく」
 気がつくと、すでに着替え終わっていたリョーマにのぞき込まれていた。
「う、うん」
 返事をしたものの、ぼくの手は動いてくれなくて。
「……なにか、飲み物持ってくるよ」
 ぼくは着替えを掴んで、逃げ出すように部屋を飛び出した。
 洗面所で着替えをすませると、氷を入れたグラスにジュースを注ぎ、二階へ向かう。
「リョーマ、入るよ」
 ドアの前で声を掛けて扉を開ける。
 部屋の中に入って、ぼくは驚いた。
「リョーマ? どうしたの――」
 さっきぼくの貸した服に着替えたはずのリョーマが、また濡れた制服姿に戻っている。
「ごめん、帰る」
「待って! まだ雨降ってる――」
 部屋を出ていこうとするリョーマを、ぼくは慌てて引き留める。
 グラスを机に置き、部屋を出る直前で、その手を掴んだ。
 リョーマは振り返ろうとせず、俯いたまま、呟くように言った。
「ゴメン、を怖がらせるつもりは、なかったんだけど」
「リョーマ……」
 ぼくはリョーマに両腕を伸ばし、背後からぎゅっと抱きしめた。さっき、リョーマがしてくれたように。
「怖がってなんか、ないよ」
 リョーマを怖いなんて思ったことは、一度もない。
 ただ、恥ずかしいだけ。でも、ちゃんと伝えなきゃいけない。
 これはとても大事なことだから。
「ぼくだって、ずっと意識してた――リョーマが、うちに遊びにくるって決まったときから」
 口にした瞬間、ぼくの腕は振り払われていた。
 そして――それ以上に強い腕で、抱きしめられていた。振り返ったリョーマの腕に。

*自分的お題「降り出した雨」*

































「傘はひとつ」    /// 観月はじめ <連載主人公番外編>


  (やっぱり降ってきちゃったな……)
 下駄箱で靴を履き替えながら、ぼくは外を見る。
 朝からいつ降り出してもおかしくなさそうな天気だったけれど、6限目まではもっていたのに。
『ぼくは委員会がありますから、あなたは先に寮に戻っていてください』
 放課後、はじめくんにそう言われてしまった。
 きょうが委員会の日だって知っていたし、ぼくはなんの委員もやっていないから、そう言われるのは当然のことだと思う。
 でも、顔を見るなりそう言われてしまったのは、寂しかった。
(一緒に、帰りたかったな……)
 そんなことを考えていた自分に気づき、ぼくは慌てて首を振る。
 クラスは違うとはいえ、学校から寮まではゆっくり歩いたって十分ほどの距離だし、寮に帰れば同室になったからずっと一緒なんだから、そんなこと思う必要はないはずなのに。
「あれ、先輩?」
 聞き覚えのある声に、ぼくは顔を上げる。
「裕太くん」
 見知った顔を見つけて、ぼくは微笑んだ。
「いま帰りなの?」
「ええ、でも傘忘れちゃって。寮まで走って帰るにしても、もう少し小降りになるまで待とうかなーと。あ、先輩はちゃんと傘あるんですね、いーなー」
 裕太くんがぼくが手にしている傘を見つけて、そう言った。
「あ、うん。じゃあ一緒に――」
 一緒に帰ろうと言おうとして、詰まってしまう。
 裕太くんは嫌いじゃない。
 ぼくのことを先輩と呼んで慕ってくれた、ぼくにとって初めての後輩だ。
 なのに――――
「この傘、使っていいよ」
 ぼくは裕太くんに持っていた傘を押しつけるようにして渡す。
「え、先輩?」
 驚いている裕太くんに、教室に置き傘があるからと言って、ぼくはその場から走り出していた。

 それから、一時間後。

「どうしたんです?」
 1組の教室の前に立っていたぼくを見つけて、はじめくんが怪訝そうに言った。
「えっと、傘、なくて」
「朝、一緒に持って出ましたよね? 
 部屋を出るときにきょうは雨が降るからとはじめくんに言われて、一緒に傘を持って出たのだ。
「それ、は……」
「窓から見ました。裕太くんがあなたの傘を差していたようですけど」
「あ、うん。裕太くんが持ってないっていうから、貸したんだ……」
 見え透いた嘘をつくのではなく、最初からそう言えばよかった。
 でも、そう言ったら、なんで裕太くんと一緒に帰らなかったのか聞かれてしまうだろうし、その理由が……
 俯いてしまったぼくの頬を、はじめくんの優しい指先がスッと撫でた。
「言いたいことはちゃんと言いなさい、。そう教えたでしょう?」
 はじめくんの柔らかで優しいアルト。
 そんな声で言われたら、隠しておけることなんてない。
  「ごめんなさい。はじめくんと、い、一緒に帰りたかったんだ」
 そう言って、恐る恐るはじめくんを見上げる。
 呆れた顔をしているのではと思ったのに、はじめくんは微笑んでいた。
  「よくできました」
 そう言って、ぼくの頭を撫でてくれる。
「嫌いにならないの?」
 ぼくのほうが驚いて、思わず聞いてしまった。
「どうして?」
「だって、帰れば会えるのに待ってて、少しでも一緒にいたがるなんて……」
「嬉しいですよ」
 はじめくんに促されて、ぼくたちは歩き出した。
「ぼくも本当は一緒に帰りたかったんですが、雨が降りそうだったでしょう? は濡れる前に帰らせてあげたいと思ったんです」
「はじめくん……」
 すぐに帰るように言ったのは、そういう意味だったなんて。
 気づけなかった自分情けない。
「結果的にすぐに雨が降ってしまいましたし、が待っていてくれて、嬉しいですよ」
「よかった」
 はじめくんの言葉に安堵すると、はじめくんは笑った。
 靴を履いて、そしてはじめくんの傘にふたりで一緒に入って、歩き出す。
 雨はもうだいぶ小降りになっていた。
「あなたは、もう少し欲張りになるべきですね、
 並んで歩きながら、はじめくんが言う。
「ぼくは十分に欲張りだよ」
 はじめくんの隣に、誰よりも少しでも長くいたい。
 そう思って、しかもそれを叶えられるなんて。
「それに、十分に幸せなんだ」
 急に、はじめくんが持っていてくれた傘が前方をふさいだと思ったら。
 ぼくは頬にはじめくんからの優しいキスを受けていた。

*自分的お題「降り出した雨」*

































「ぼくの大事」     ///芥川慈郎


(雨、か……)
 目を覚ましても差し込まない光と、家の前を走った車の音が、きょうの天気を教えていた。
「慈郎が、寂しがるな…」
 カーテンを開けて、景色がすべて濡れていることを確認し、ぼくは呟く。
 いつでもどこでも眠るヤツだけど、外で、暖かい日差しを浴びながら心地よい風に吹かれて眠るのがいちばん好きなことを知っている。
 それに最適な春の季節は終わりを告げ、季節はとうとう梅雨に入ってしまった。
 テニスの練習も存分にできなければ、戸外で昼寝もできない。慈郎にとっては最悪の季節だ。
 ぼくも、雨には恨みはないが、靴や制服が濡れるのは嫌だし、なにより薄暗い天気ではどうしたって気が滅入る。
 とはいえ、学校に行きたくないとは思わない。
 学校に行けば、こんな憂鬱は、すぐに消えてしまう。
 教室で、慈郎の姿を見さえすれば。
 そう思いながら登校した教室に、慈郎の姿はなかった。
 朝練があれば、ギリギリに教室に入ってくることも多いが、普段の慈郎はまず遅刻はしない。
 遅刻することはないのだが、学校に来ていても、教室に来ないことが多い。
 どこか、気に入った場所を見つけて眠ってしまっているから。
(でも、朝は大抵、教室で寝てるはずなのに……)
 慈郎の居場所を知っていそうな人物を見つけ、ぼくは尋ねる。
「宍戸、慈郎は?」
…、お前、朝の挨拶くらいしろよ」
 不機嫌そうに言われ、ぼくはすっかり忘れていたことに気づく。
「ああ、そうだった。おはよう、宍戸。で、慈郎は?」
 ぼくの問いに、宍戸はやれやれと呆れるような様子を見せながら、答えた。
「知らねぇよ。きょうは屋内コートは女子の番だから、朝練はなかったしな」
「……そう、どうも」
 仕方なく、ぼくは一応の礼を言う。
「あ、お前! いま使えねぇとか思ったろ!」
 怒鳴る宍戸を無視し、ぼくは廊下に出た。そのときだった。
ちゃん! おっはよ〜!」
 背後からギュッと抱きつかれ、その暖かい匂いにぼくは目を閉じる。
「おはよう、慈郎。きょうはずいぶんと機嫌がいいな」
「へっへー、跡部にいいこと教えてもらったんだー」
 その名を聞いて、ぼくは固まる。あの馬鹿、また慈郎に変なことを教えたんじゃないだろうな。
(そうだったら、ただじゃ置かない――)
 跡部への復讐をあれこれ考え始めたぼくに、慈郎が言う。
「ねーちゃん、昼休み、ちょっとだけつきあってくれる?」
「もちろん」
 慈郎の望みならなんだって叶えてやる。
「で、どこにだ?」
「図書室」
 なにを読んでも眠くなる慈郎から返ってきた答えに、ぼくは驚く。
「なにか読みたい本でもあるのか?」
「ううん。跡部からー、奥の部屋にソファが入ったって教えてもらったー」
「奥? ああ、特別閲覧室か。あそこなら静かだし、よく眠れるかもしれないな」
 その場所を思いだし、ぼくは同意する。
 でも、あそこにソファはなかったはずだ。跡部の一存で入れたというのか。
 なぜ、なんのために?
「うん、だから――」
 耳元で囁かれた言葉に、ぼくは真っ赤になって俯いた。
「うん……」
「やったぁー! ありがとちゃん! うれCー!」
 満面の笑みで喜ぶ慈郎に腕を引かれながら、ぼくは教室へ入る。
 ああ来たじゃねえか、なんだ顔が赤いぞなどと言っている宍戸をうるさいと怒鳴りつけて、ぼくは席に座った。
 同じく斜め前の席に座った慈郎は、もう眠るモードで机に伏せていた。
 まったく、どうして慈郎の一挙一動で、ぼくはこうも振り回されるのだろう。
 先ほど耳元で言われた言葉を、ぼくはリピートさせる。

『膝まくら、してくれる?』

 仕方ない。今回は跡部、褒美をやるよ。

*自分的お題「降り出した雨」*


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all re-updated 12/11/26