「思い描く日に」///手塚国光     注:手塚ドリ・先輩主人公の番外編です



「おはよう、祐大」
 ぼくはいつものように迎えに来た幼馴染みに挨拶しながら家の扉を閉めた。
「おはようございます、……その、とても楽しそうな様子からして、中等部が関東大会で優勝したことはもう聞いたんですね?」
「うん」
 ぼくは笑顔で頷いて、祐大の隣に並んで歩き出した。
「去年の優勝校である立海を破るとは……かなりいい試合をしたんでしょうね。今回も行けなくてすみません」
 そう、まだぼくは一度も試合を見に行ってはいない。昨日の結果は、試合を見に行くと言っていたクラスメイトの女の子に、メールしてくれるように頼んで教えてもらった。高等部にも、中等部のレギュラー陣のファンはたくさんいるらしい。
「ううん、祐大だって優勝目指してるんだから、そっちを優先しないと。見に行きたかったら一人でも行けるし、それに――会場まで見に行かなくても、いいんだ」
「おや、そうなんですか?」
 不思議そうに聞いてきた祐大にぼくは「うん」とだけ答えた。ごめん、手塚くんの言葉のことは、祐大が相手でも話せないから。
「でも祐大の試合は見に行くから、頑張ってね」
「ええ――僕も優勝を決めて喜ばせたかったのですが、それは少し先になりそうなので、とりあえずコチラを」
 言うなり、祐大がラケットバックから取り出してぼくに差し出してきた――小さな赤いリボンのついた包み。
、誕生日おめでとうございます」
「あ――」
 言われるまで、すっかり忘れていた。今日ってぼくの誕生日だったんだっけ…………
「ありがとう、祐大。嬉しい。あ……いま開けてもいい?」
「ええ。大したものじゃありませんけど」
 微笑む祐大の隣を歩きながら、ぼくはその包みをそっと開けていった。中から現れた細長い箱――そっと開けると、黒字に金の模様が入れられた細身のペンが入っていた。
「わ…、綺麗。ほんとにもらっていいの?」
 なんだか高そうな品物に、ぼくは少しだけ気後れした。だって前回、ぼくが祐大にあげたのはリストバンドだもの。
「もちろんです――あと、これはオマケといいますか、お願いといいますか」
「え――?」
 祐大がぼくの前に二つ折りになった紙切れを差し出してきた。ぼくは箱にフタをして片手を開けてからそのメモを受け取って開く。そこに書かれていたのは郵便番号、住所、そして病院の名前。
「これ、は……?」
「手塚くんのリハビリ先です。病は気からと言いますし、励ましてあげるときっと手塚くんも早く回復するんじゃないでしょうか――とは言いすぎですかねぇ。でも、そろそろ辛くなってくる時期だと思いますよ。チームメイトの優勝を嬉しく思うほど、ケガで思うように動けない自分を――彼の性格だと、責めそうですからね」
「そんな――」
 ぼくの言葉は止まってしまう。そうじゃないとは、言い切れないからだ。
 ぼくの知っている手塚くんは、本当に誰よりもテニスが好きな人だ。その彼が、将来テニスをするためとはいえ、いま我慢しなくちゃいけないのは本当に辛いだろうと思う。仕方のないことだと解っているからなおのこと。その上手塚くんは、その辛さを決して表に出そうとしないだろう。
(頑張って、欲しい――)
「ぼくなんかの言葉で、励まされるのかな…?」
「嬉しいと思いますよ。それより、辛い状況のなかでも、自分を待っている人がいるのを知るのは、明確な目標にもなり得ます」
 祐大の言葉に、ぼくは決めた。手塚くんに会える日を、手塚くんのプレイを見れる日を待っていることを、手塚くんに伝えよう。
「ありがとう、祐大。早速このペン使わせてもらう」
 祐大はニコリと笑っただけだったけれど、その笑顔はぼくの言葉が正解だと言っているように見えた。


 誕生日だということで、その日は一日中、同級生やクラスメイト、先輩たちにも、いろいろ声をかけてもらって嬉しかったのに、ぼくはどこか浮ついた気持ちでその言葉を聞いてしまっていた。
 手塚くんになんて書こう――気がつくとそのことばかり考えてしまうのだ。
 手塚くんはきっと誰よりも努力して頑張っている。それなのに気安く「頑張って」なんて書いてはいけない気がする。
 祐大の練習が終わるまで図書室でぼくは待っていたのだけれど、その間中ずっと、手塚くんに送るメッセージを考えていた。昼休みに購買部で買った薄いブルーのレターセットを横に置いたまま、下書きのためにノートを開く。伝えたい思いはたくさんあって、いろいろな言葉を書いてみたのに、結局『手塚くんへ』以外の文字にはすべて線が引かれてしまっていた。
「すみません、先輩。そろそろ閉めたいんですけど――」
 図書委員の女の子にそう声をかけられるまで、それは続いた。彼女に謝って、ぼくは慌てて帰り支度をすませて、テニス部の部室へ向かう。
「おや、。走ってきたんですか?」
 ちょうど練習を終えて着替えた祐大が部室から出てきたところだった。
「うん、ちょっと遅くなっちゃって」
 答えて、少し情けなくなってしまった。これだけ時間をつかったのに、まだ書き出しすら決まっていないのだから。
 ケガをしているのを知っているのに「元気ですか?」と書くのは変だし、でもリハビリなのだからそう書いてもいいのかもしれないし、「リハビリは順調ですか?」なんて書くのも、手塚くんのことだからちゃんとやってるはずだから、やっぱり変だと思うし…………
? どうかしました?」
 祐大の手がぼくの目の前で振られて、ぼくはまた考えに没頭してしまっていたことに気づいた。
「ご、ごめん。か、帰ろう」
 慌てて祐大を促して、ぼくらは歩き始めた。
 ぼくの家の前まで送ってくれた祐大を見送って、ぼくは家のなかに入る。
「お帰りなさい、。誕生日おめでとう――ケーキ用意してあるわよ」
「ただいま。ありがとう、お母さん」
「それと――コレが来てたわよ」
 母が差し出してきたのは、一通の白い封筒。几帳面そうな字で、様と書かれている。誰だろう――裏返して、一瞬息が止まるほど驚いた。
「ごめん、お母さん! 夕飯はあとで!」
 ぼくは駆け出して一気に部屋へ戻った。とても短い距離なのに、息が上がっている。鞄を置いてベッドに腰を下ろしてから、深呼吸する。そして手の中にある封筒を、もう一度裏返してみた。そこに書かれている差出人の綺麗な文字を、ぼくは指先でなぞった。
 そこに書かれていたのは――手塚国光という四文字。
「嘘じゃ、ないよね…?」
 何度見返しても、その文字が消えることはなく。
 ぼくは封筒の隙間にはさみを入れながら、丁寧に開いた。中に入っていたのは一枚のカードと、そして。
「これは――」
 薄くて小さい金属のプレート。切り絵のようにサクラの模様が繊細に切り抜かれているそれは、きっとしおりとして使うのだろう。
「このまま飾っても、綺麗だな……」
 ぼくはそのしおりを手にしたまま、中に入っていたカードを開いた。
 真っ白の、なんの模様もないシンプルなカードには書かれていたのは。

『 先輩
  誕生日おめでとうございます。
  あの日の言葉は必ず守ります。
            手塚国光 』
 
「手、塚くん……」
 それだけ、たったそれだけの言葉だけだったけれど――嬉しすぎる。
「頑張ってるんだ……リハビリ、順調なんだね。帰って――ちゃんと帰って来るんだね……」
 思わず熱くなった目を、手の甲で拭った。ぼくは鞄からレターセットを取り出し、机に向かった。この思いを、いま形にしておきたい。
 母さんには悪いけれど、夕飯はきっとかなり遅くなることだろう。
 祐大にもらったペンは、ブルーの便箋の上をスラスラと滑り始めた。

































見慣れた横顔///榊太郎
      微エロにつき注意!


 日本に帰ってきたと聞いて、すぐに会いに行きたかったけれど、仕事も忙しくてなかなか時間が作れなかった。けれど、きょう、ようやく開いた午後の少しだけの時間を使って、ぼくはその場所を訪れた。その人は、家の裏手にあるお寺にいるという。
「……南次郎先輩、ですか?」
 横になって足で鐘を突いているその背中に、ぼくは声をかけた。
「あ〜? 誰だ、お前」
 振り返った彼は、写真で覚えた顔が、ちゃんと歳をとったもので。
「先輩なんて馴れ馴れしく呼んですみません。ぼくはと言います。青学のテニス部出身で――南次郎先輩より十年以上あとにはなるんですけど――でも、竜崎先生から、よくあなたのことを伺っていました。ずっと憧れていて、ぜひお会いしたいと思っていたんです」
「十年以上……? ……? もしかしてお前、バァさんが言ってた――いや。まぁ、ちょっと打ってみるか?」
「いいんですか! ぜひお願いします!」
 境内になぜかあるテニスコートを指差した南次郎さんに、ぼくは二つ返事で頷いた。まさかそんなことができるなんて夢みたいだ。
 仕事の帰りだからスーツだけれど、着替えは持っていないから仕方がない。ジャケットを脱ぎネクタイを緩めて、ぼくは息子さんの予備だというラケットを借りた。
 南次郎さんは――それはすごかった。ぼくは夢中で、ほとんど覚えていない。
「キリがねぇな」
 ぼくのリターンを南次郎さんがラケット上で止めて言った。
「お前さんやっぱり、バァさんが言ってた、青学で三年間レギュラーだったってヤツか?」
「ええ? 竜崎先生が、ぼくのことを? 恥ずかしいなぁ……昔のことですよ。『南次郎が相手だったらお前なんか敵わないよ!』っていつも言われてましたし」
「……で、いまはなにやってんだ? プロか?」
「とんでもない! ただの中学校の教師です」
「テニス教えてんのか?」
「サブコーチみたいなことはやらせてもらってます。ぼくなんかより優秀な方がちゃんといらっしゃいますので」
「ほー、なんだか解んねぇけど、ま、いっか。またいつでも来いや。相手になるぜ」
「はい!」
 ぼくは笑顔で頷いて、頭を下げた。
 すっかり夕焼けに染まっている街並みを見下ろしながら幸せな気分でお寺の階段を降りはじめて――その下の道路に、見覚えのある車が停まっているのに気づく。ぼくが階段を降りきると、助手席である右側の扉が開けられた。
 ぼくは迷いなく乗り込んで、その扉を閉めると、ポルシェの運転席にゆったりと座っているその人物に問いかけた。
「こんなところでなにをなさっているんですか、榊先生?」
「通りすがりだ」
 すかさず返されたその言葉が本気ではないことは、お互いに解っている。だからぼくも悪戯っぽく返した。
「ぼくは、そんなに信用がないんですか?」
「いや――がわたしの嫉妬深さを知らないなら、教えておこうと思ってな」
 言うなり、榊先生はカチャリとシートベルトを外して、ぼくに覆いかぶさってきた。シートに押し付けられたぼくの身体は引くこともできず、触れ合ったくちびるは深く重なり合う。
「ん……先生、ダメですよ。こんな場所で。誰かに見られたらどうなさるんです…?」
 息をつぐために離れた隙に、ぼくはすかさずあごを引くと榊先生の胸に手を添えて言った。無理強いすることなく、榊先生の身体はぼくから離れてゆく。
「食事はどうする、? なにか食べたいものはあるか?」
 再びシートベルトを締め、榊先生が車を発進させた。何事もなかったかのようなその横顔に、ぼくは少しだけ悔しくなる。
「いえ――先生さえよければ、早く先生の部屋へ行きたいです」
 言外に含まれる意味に少しは驚いてくれるかと思ったのに、榊先生はフッと楽しげに息を漏らしただけだった。
「まったくお前は……呼び方も他人行儀なままのくせに、そういうところだけは大胆になったな」
「呼び方は――校内でうっかり出ては困るでしょう?」
「本当にそれだけか?」
 その言葉にぼくは微笑んだだけで答えなかった。
 けれど始めから答えなど期待していなかったに違いない――榊先生がアクセルを踏みこんで、ぼくの身体にも重力がかかる。けれどそれよりももっと心地良く温かい重みを早く感じたいと、ぼくは見慣れた横顔を見ながら思った。


































間違いの恋///真田弦一郎
     (悲恋につき注意!)


「真田!」
 朝、昇降口で見つけた間違えようもない正しい姿勢の背中に、ぼくは声をかけた。ゆっくりと振り返ってぼくを捕らえる鋭いまなざし。
「今日のクラブ委員会は真田が出席するのか? それとも野球部の部長に代理を頼んだ?」
 毎月、生徒会と部の代表が活動を報告し合うクラブ委員会へは、運動部代表と文化部代表が出席する。その代表になるのは昔から決まっていて、運動部はテニス部の部長、文化部は茶道部の部長――つまりぼく――がやることになっている。けれど幸村は、三日前に入院してしまった。
「いや、幸村の代理はすべて俺がする」
 答える真田の厳しい表情、口調は、幸村の不在を彼が責任持って代行するという強い決意を表していると思う。
『好きなんだ、――』
 幸村にそう言われたのは、ほんの一週間前のこと。
 ぼくと幸村は二年のときから同じクラスで、一緒にいるのが自然と心地良い相手で――幸村もそう思っているだろうと勝手に思い込んでいたのは、ぼくが悪かったんだ。
『ぼくは……幸村のことは……友達、としか――』
『ごめん、解ってた。それでも言いたかったんだ。わがままだよね、ホント』
 寂しげに笑った幸村に、そんなことないと、ぼくもきみのことが好きだと言えたら、どんなによかったか。でも、幸村のことが友達だとしか思えない存在が、ぼくの奥に深く深く根付いてしまっている。それも、幸村を通して。
「あの、真田……、幸村の、具合は――?」
 幸村の気持ちには応えられなくても、それでも幸村のことは気にかかる。
「検査入院だ、大したことはない。幸村もお前が見舞いに来るほどではないと言っていたぞ」
「う、うん――そう、だよね」
 そうきっと、幸村はぼくになんか、会いたくないだろうから。
 ぼくを見下ろしている真田の鋭い視線の前にこのままいると、大した用でもないのに、つい真田に声をかけてしまったぼくの浅ましさを見抜かれてしまいそうで、怖くなった。
「じゃあ、真田。また、放課後――」
 無理矢理笑顔を作って、ぼくはその場を走り出した。


 真田に出会うことがなければ、幸村を好きになれたのかもしれない。でも幸村と一緒にいたからこそ、より真田を知ることができて、そして――――
 友達としての幸村を捨てたくないと思いながら、叶いもしない思いも捨てられずにいる。
(ぼくが間違っているのは解っているのに――)
「……ごめん」
 自分の口から零れた言葉なのに、誰に対して言ったのか、ぼくにも解らなかった。



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all re-updated 04/9/30