「彼の知らない話」 ///芥川慈郎
「ジロー、こんなところにいたのか」
体育館裏の大きな楠の下で、ぼくはようやく同じクラスの芥川慈郎の姿を見つけることができた。気持ち良さそうに眠っている――このまま眠らせておいてやりたいけど、昼休みはもうじき終わってしまうのだ。
「ジロー、起きて――ほら朝だよ、起きる時間だよ」
身体を揺すったら驚かせてしまいそうで、自然と眼を開けてもらいたくてそう声をかけた。
「……ジロー?」
でも聞こえていないのだろうか?
ぼくもその場に膝をついて、そっと慈郎の顔を覗き込んでみる。よかった、息はしてる。
「ジロー……起きて?」
至近距離で囁くように言うと、慈郎の睫が震え、ゆっくりとその瞳が開いていった。
「おはよう」
からかうようについ笑いながらそんな挨拶をしてしまったのは、無防備で子どもっぽい慈郎の仕草が見れたのが嬉しかったからだ。
焦点の合わない瞳は、何度かまばたきを繰り返す。
「ん、ちゃん。いい夢……うれC――」
そんな呟きが聞こえたかと思うと。
「え――っ!」
ぼくは強い力で引き寄せられ、あっという間に慈郎の上に覆いかぶさっていた。
「ちょ――離せ、ジロー!」
身体を起こそうにも、ぼくの背中にはしっかりと腕が回されていて、ビクともしない。両方の手で必死で慈郎の胸を押しているのに。
身体は小さくても、やっぱり慈郎はちゃんと鍛えているんだと、こんなときに思い知らされる。ちょっと悔しくて、泣きそうになる。
「ちゃん……だーい、すきー」
突然聞こえた慈郎の呟きに、思わず力が抜ける。
え――と思った瞬間、くちびるに触れた軽い感触。
「気づけ、ばかっ!」
ぼくは渾身の力を込めて慈郎の腕から抜け出すと、その頬を思いっきり張っていた。
「へ? ちょっと――なに? なにがあったの? ちゃん?」
ようやく覚醒して本当に驚いた声を上げている慈郎を残して、ぼくはその場から逃げ出した。
これが、慈郎の記憶にはない、ぼくのファーストキスの話。
自分的お題:朝じゃない時間に『朝だよ』という台詞を入れる
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「夢の続き」 ///ロイ・マスタング<連載主人公>
目を開けたそこはまだ薄暗い部屋のなかで。
(夢――……)
そうとは分かっても、の荒い呼吸と心臓の高鳴りは治まらなかった。今しがたみた光景が目に焼きついて、離れない。
(ロイ、さん――……)
目の前で、ロイが倒れた。その地面にはゆっくりと血の染みが拡がってゆく。
名前を呼ぶこともできず、駆け寄りたいのに、指先ひとつ動かすことができなかった。まるで、身体などないかのように。
なにもできないまま、の目の前で、ロイの瞳がゆっくりと閉じていき――そこで、目が覚めた。
(動く――)
両手をゆっくりと引き上げると、ちゃんと意志通りに動いた。当たり前だ、いまは夢の中ではないのだから。けれど……うまく動かせない。指先が、痺れるように震えていて。
(夢だ……あれは夢――あんなことには、ならない。絶対に――)
解っているのに一向に止まる気配のない震えをなんとかしたくて、はギュッと両手を握り締めて胸元に押し付けた。
ふと、ベッドサイドに灯りが灯される。
「――どうした、?」
ゆっくりと頭を撫でられ、は顔を上げる。
「怖い夢でも見たのか? ん?」
隣で眠っていたロイを起こしてしまったことを申し訳なく思う気持ちもあったけれど、それよりも安堵のほうが強かった。
(この手だ――ロイさんの、手――)
この手で触れられると安心する。なぜだか、涙が零れた。
「大丈夫だ、わたしがいるだろう? おいで」
ロイがゆっくりとその腕を回して、の身体を抱き寄せてくれる。その腕のなかに身体を預けると、自然と震えは治まった。
ずっと、ロイの手はの髪を撫でてくれている。
(ロイさんだけ――ぼくをこんなに苦しめるのも、そしてこんなにも――満たしてくれるのも)
ちゃんと動かせるようになった手を、はそっとロイの身体へと伸ばした。
「さぁ、。もう少し眠るといい。キスをしたいところだが、これ以上きみに触れると、わたしが眠れなくなるからな。このまま――次に目が覚めるのは、朝だよ。キスはそのときまで取って置こう」
約束、とでもいうかのように、ロイの親指がの唇を掠めて撫でていった。
いつもなら恥ずかしくて俯いてしまうところだけれど、いまは嬉しくて仕方がなかった。
は頷くと目を閉じて、さらにロイの胸へを顔を寄せた。再び瞳を開けたときに見られるはずの、朝のことだけを思いながら。
自分的お題:朝じゃない時間に『朝だよ』という台詞を入れる
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「休日はふたりで」 ///手塚国光<手塚家居候主人公・番外編>
「いい加減、起きませんか?」
いくら暑くないとはいえ、上掛けを頭まですっぽりと被ったまま寝ているその人に、手塚は声をかけた。
「ん……いま、何時?」
だるそうに顔をこちらに向けたけれど、うっすらと開いた瞳は、また閉じてしまう。
「十一時です。もう昼ですよ」
「えー……、まだ朝だよ。もう少し……」
夕方から朝方まで、ホテルのバーテンダーとして働いている彼、には、十一時は朝に近い時間なのかもしれない。けれど――――
手塚は、再び布団にもぐりこもうとするの額に手を伸ばした。
「熱は、ないですね」
触れて、安心する。するとは、目を閉じたまま、クスクスと笑い出した。
「大丈夫。ちょっと暑くて寝不足だっただけって言ったじゃない……ホント、心配性だなぁ、国光くんは」
数日前、うだるような暑さが何日も続いていたその夜、は勤務中に貧血を起こして倒れたのだ。その事実を、偶然その日その場に居合わせたという父、国晴から聞かされた手塚がどれだけ悔しく思ったことか。だから職場から一週間の夏休みをとるように言われたというが、避暑に行こうと思ってるんだけどという連絡を寄越したとき、自分も一緒に行くと告げたのだ。
「でしたら、起きてください。昨晩は十時に寝たんですから、睡眠は足りているはずです」
「えー、ここにはゆっくりしに来たんだし……懐かしいでしょ? 初めて会ったときのこと、思い出してくれた?」
ようやく開かれたの瞳が、悪戯っぽく手塚を見上げている。
手塚の同行を、彼はあっさり承諾した。の運転で連れてこられたこの場所が、ふたりが初めて出会ったあの別荘だったとき、最初から彼は手塚を同行させるつもりだったのだと気づいた。
「泊まるのはペンションだと言ってませんでしたか?」
「話してなかったっけ? ここはもう売っちゃったんだよ。お祖母ちゃんが亡くなる前にね。で、買った人がいまペンションやってるの。売ったお金は、コレになったりしたなぁ…」
とが指差したのは、乗ってきたSクラスのメルセデスベンツ。分不相応に見える車を乗り回していた理由も、ようやく分かった。
手塚はの額に当てていた掌を滑らせ、彼の頬に触れた。次の日もちゃんと仕事はしていたというし、ここまで運転してきたのだから、もう病人扱いする必要はないとは思うのだけれど、その頬はやはり以前会ったときよりもやつれていた。
「ですが、寝てばかりでは体力も回復しません。ゆっくりするのはともかく、食事はちゃんと取ってください」
「もー、眉間の皺、可愛くないぞ……」
言葉とは裏腹に、の両手は手塚の首に回されていた。
「分かったよ、起きる。そうだなぁ……ゴハンを食べたあと、裏の林を散歩しようか?」
「ええ」
「じゃあその前に……」
朝の挨拶をして? と囁いたに、手塚は言葉ではなく唇で応えた。
自分的お題:朝じゃない時間に『朝だよ』という台詞を入れる
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all re-updated 05/12/13