「MAY BE」     ///<跡部特別救済夢> 連載主人公番外編


(注意:跡部vsリョーマの試合後の話なので、リョーマがいい目を見てません)



「それ以上はやめてくれないかな」
 立ったまま気絶している跡部の前髪が一房ほど地に落ちたところで、リョーマは左後方から声を掛けられた。振り返ると、足早にコート内に入ってくる見覚えのない青年がいた。氷帝の制服を着てはいるが、ユニフォームではない。
「アンタ、誰? 俺、この人と約束したんだけど」
 表情に出してはいなかったが、明らかに不服そうにしている彼を挑発するように、リョーマは言った。
「知ってる。跡部のほうから言い出したんだ、約束を違えるはずはないよ。だが、いくら大勢の証人がいたとしても、意識のない相手の髪を切るのは相手を傷つけるのと同じ――傷害罪で訴えられてもおかしくない行為だよ」
 相手はリョーマの挑発には乗らず、冷静に返してくる。訴訟大国アメリカで生活していたリョーマにも、確かにその可能性が否定できないのは解る。でも、約束は約束だ――あっさりと引くのは面白くない。
 そんなリョーマを見て、彼は静かに言った。
「景吾は、必ず約束は守るよ。だから――いまはやめて欲しい」
 そしてバリカンを持つリョーマの手を取ると、自分の頭へと向けさせた。
「君の気がすまないというのであれば、ぼくの髪を切ってくれてかまわない」
サン――!」
 慌てて駆け寄ってくる相手は、リョーマも知っている。忍足侑士――桃城を倒したときとは違い、彼があからさまに焦っている姿を見せたのは興味深い。
「ふうん、それも面白そうだけど」
 掴まれている手をそのままにリョーマは笑う。しかし忍足ではない手が、リョーマの手を掴んで引き戻した。
「止めろ、越前! すみません、さん」
 手塚が、リョーマの隣で彼に頭を下げていた。無表情だが、怒っているらしい空気が伝わってくる。
「やめといたほうが良さそうだね……で? アンタ、誰なワケ?」
 リョーマは手塚にバリカンを渡し、掴まれている腕を放してもらうと尋ねた。
――氷帝の三年だ」
「テニス部?」
「去年までね」
「もう辞めたってこと?」
「ああ、怪我でね」
「ふうん」
 去年までテニス部だったというなら手塚が彼――と名乗った――のことを知っていても不思議ではない。だが、手塚がに一目おいているような態度を取るのは、かなり強い選手だったのかもしれないとリョーマは思う。さすがに怪我で辞めたという相手に『強いの?』と尋ねないくらいの分別はあるが。
 コートの端で、跡部を運ぶための担架が用意されていた。それに気づいたが、担架はいらないと指示していた。
「忍足、肩を貸してくれるか? 景吾を担架に乗せてコートから運び出すなんて真似はしたくない」
「そうやな……」
 忍足は意識のない跡部の左腕を取ると、背中に回して担ぎ上げた。
 は、跡部の右手にしっかりと握られたままのラケットをゆっくりと外していた。
 そんな姿を見て、リョーマはへと声を掛けた。
「ねぇ、Are you his lover?」(アンタ、彼の恋人?)
「Maybe」(そうかもね)
 間髪いれずにそう答えられて、リョーマのほうが驚く。少しは戸惑ったり、それこそ怒ったりするかと思ったのに。
 リョーマはすっかり、目の前の相手に興味を引かれていた。
「ねぇ、さん――だったよね。証拠の写メ送ってくれる? メアド交換してよ」
 跡部の坊主頭のことなんてすでにどうでもよかった。知りたいのは、この彼のこと。
 ラケットを外した跡部の右腕を取り、その身体を支えているは、顔だけ振り返らせてリョーマを見ると、こう言った。
「……手塚くんに、聞いてくれ」
 が手塚へと視線を向け、手塚が了解したというように頷いたのを、リョーマも見て取った。
 忍足とに両脇から抱えられてコートを出て行く跡部の姿を眺めながら、リョーマは手塚に尋ねる。
「部長、あの人のメアド知ってたんだ?」
 手塚は眼鏡のブリッジを押し上げ、リョーマを冷たく睨むと言った。
「いや」
「なんで? 教えるって――」
 驚いて不服を唱えて、気づく。は手塚に聞けと言っただけで、教えるとは言わなかった。手塚に教えろとも。
(やられた――)
 振り返ると、まだは意識のない跡部を抱えながら運んでいる最中ではあった。けれどその視線は跡部にだけ向けられ、リョーマのことなど、すでにその存在すら忘れ去られているようで。しかしを追いかけるだけの体力は、リョーマにももう残ってはいなかった。
「……まだまだ、だね。俺も」
 悔しげに呟いて、リョーマもその場で意識を手放したのだった。

































「あの日、いちばん近くにいた」 ///橘桔平 (ほとんど出てない上に、たぶん悲恋…)



 父親の主張先がアフリカで、任期が二年と決まっていなければ、たぶんぼくも一緒に連れて行かれたんだと思う。
 アフリカには母だけがついていくことになり、小学校卒業間近だったぼくは九州の親戚の家に預けられることになった。従兄弟の――千歳千里の家に。
 千里がテニスをやっていて、それもかなり強いということは知っていた。毎年夏休みはお互いの家に泊まりに行っていたのに、小学校の四年になったころから千里が東京に来なくなったからだ。千里には、テニスの練習があるからと。
 ぼくが千里の家に遊びに行っても、千里とは遊べず、叔父さんや叔母さんと遊ぶしかなかった。
 テニスが嫌いだった。
 子どもだったと思う――千里をテニスに奪われた気がしてたんだ。だから、ぼくは絶対テニスなんかやらないし、千里の応援だってしないと決めていた。
 でも千里の家で暮らすようになって、同じ獅子楽中に通うようになって――ぼくは初めて、千里がテニスしてるところを見た。千里と――桔平が試合してるところを。
 テニスなんてただの打ち合いだって思ってた。あんなに激しくてカッコいいスポーツだったなんて、そのときまで全然知らなかった。
 それからぼくは、一転して千里を応援するようになった。応援するだけじゃなく――ぼくもテニス部に入った。途中入部の上、まったくの初心者だから大変だったけど、それでも楽しかったし、自分で始めてみて、どれだけ千里と桔平が強いのか、よく解るようになった。
 あまりにもふたりとはレベルの違うぼくだったけど、千里も――千里の従兄弟だって知ってるからか桔平も、根気よく教えてくれた。
 楽しかった。
 二年になったら、千里と桔平はレギュラーになり、全国大会にも出て、九州二強なんてすごい名前をつけられていた。もちろんぼくはベンチだったけど、ぼくも誇らしかった。
 本当に楽しかった。
 ずっとこんな日々が続くんだと思ってた。
 両親が帰ってきても、こっちで生活させてくれるように頼もうと、そう思ってた矢先の出来事だった。
 桔平が、千里の目にボールをぶつけたのは。
「なんだよ、アンタ。偵察かよ?」
 不意に背後から掛けられた声に、ぼくは振り返る。そこにいたのは、左目が隠れるような髪型をして、きつくぼくを睨みつけている――いま桔平が着ているのと同じ、黒いジャージを羽織った生徒だった。
「ぼくは……そんなんじゃ――」
「じゃあなに建物の影からコソコソ覗いてんだよ!」
 そう詰め寄られて、答えられない。だって事実だから――桔平を覗き見ていたのは。
「おい! なんとか言えよ――」
 掴まれそうになったときだった。
「アキラくん、やめて!」
『杏ちゃん……』
 ぼくと、アキラと呼ばれた彼は同時に彼女の名を呼んでいた。
さん、お久しぶりです」
 杏ちゃんがぼくに頭を下げると、彼が驚いた声をあげる。
「え? 杏ちゃんの知り合い? いや、その……コソコソ覗いてたから、偵察かと――」
 必死で言い訳を始めた彼に、杏ちゃんは、この人は友人だからと説明すると、ふたりだけで話があると彼をあざやかに追い払った。彼のその未練ありそうな後姿に、杏ちゃんへの思いを感じる。正直、ぼくには関係ないと思ったけれど、誤解を与えるのもイヤだった。
「ぼくは――といいます。以前、その……獅子楽中に、いたので」
「あ、ああ――そうだったんだ。邪魔して悪かったな」
 彼が納得したように笑顔で去ったあと、ふたりきりになって――ぼくは彼女に頭を下げた。
「ごめん――」
「謝らないで下さい。さんに謝らなきゃいけないようなことをしたのは、兄さんのほうで――」
「違うよ。桔平がぼくに謝る必要なんかない。桔平はぼくにはなにもしていないんだから。ひどいことをしたのはぼく――桔平にひどいことを言ったのは、ぼく……だよ」
 千里の目が、見えなくなるかもと聞かされて、ぼくは桔平にひどいことを言った。
『千里の目を奪ったのはお前だ! 千里からテニスを奪ったんだ! そんなお前に、これ以上テニスを続ける資格なんかない!』
 たぶんもっとひどいことも、いろいろ言ったと思う。興奮して、泣きながら――ぼくは桔平を責め続けた。
 桔平は、黙って聞いていた。その態度も、ぼくは気に入らなかったんだ。それが桔平なりの謝罪だって、気づく余裕もなかった。
 そして桔平は転校してしまった。テニスも、やめてしまったと聞いた。
 治療の結果、千里の目はなんとか視力を取り戻した。それはとても嬉しかったのに――ぼくはには苦い思いが残る。千里の傍にいると、どうしても桔平のことを思い出してしまうからだ。自分が桔平にひどいことを言ったことを。
 千里が大阪の四天宝寺に転校することになり、ぼくも東京へ――帰国した両親のもとへ戻ることになった。東京の中学に転校して――ぼくはテニス部には入らなかった。
「桔平がまたテニス始めたって聞いて、つい見にきちゃったんだ。コソコソ覗き見てて、ごめん」
 もう一度、ぼくは杏ちゃんに謝罪する。さっきの「ごめん」は、そういう意味だ。それと、もうひとつ。
「ぼくは桔平に――ちゃんと謝らなきゃいけない、謝りたいって思う。でも――」
 桔平のプレイは変わってしまった。あれは、ぼくの知っている桔平じゃない。
 桔平の選んだ道に、ぼくが口を挟むことはできないけれど、でもできるなら、もとの桔平に戻って欲しい。でもそれは――ぼくが謝ったくらいでは、無理なんだ。桔平をあんなふうにしてしまった一因は、ぼくにもあるかもしれないのに。
「もう一度――もう一度、桔平は千里と試合しないと。千里と試合できたら、桔平は過去を清算できると思う。だからそのときまで――」
 ぼくは会えない。会っちゃいけない。謝って、自分だけ許されようなんて気をおこしてはいけないんだ。
「ごめん、ね……」
 ぼくは杏ちゃんの向こう、コートに向かって呟くと、背を向けて歩き出した。
 またテニスが嫌いになりそうだ――千里の目が治っても、桔平がもう一度テニスを始めても、もうあのころの日々は戻らないんだと、ぼくはその日、改めて思い知らされた。



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all re-updated 07/4/1