触れる温度 後編
竜崎先生に近くの駅まで送ってもらい、リョーマともそこで別れた。もちろんリョーマもと一緒に帰りたがったのだが、竜崎先生に「お前さんは行くところがある」と言われて却下されていた。リョーマは気づいていないようだったけれど、は解る――たぶんどこかで青学メンバーが打ち上げをやっているのだろう。きょうの優勝の立役者であるリョーマをその場に連れて行かないわけにはいかないのだ。
不満そうなリョーマに「あとでメールする」と告げて、は車を降りた。それから家に帰りつくなりベッドに身体を投げ出して――もう何時間経ったのだろう、辺りはすっかり薄暗くなっていた。 は顔を起こすと片手に握り締めたままだった携帯のボタンを押す。表示されているのは、書きかけのメール。あて先は越前リョーマ、記入されているのはそれだけで、件名も本文もなにも打ち込まれていないままだ。 『きょうはお疲れさま』 『ゆっくり休んで』 『また試合見に行くよ』 『次も頑張って』 『早くケガを治して』 『明日また学校で』 いろいろな言葉を入力しては、また消してゆく。文字にしてしまうと、どれもの本当の気持ちではないように思えてくるのだ。 違う。本当の気持ちは、言葉にできない。 (会い、たい――な) さっき別れたばかりなのに。また明日も学校で会えるのに。それに―――― (会ったって、なにもできないくせに) 思考はさっきから同じところばかりをぐるぐると巡り、最後はそこへと行き着く。そしてまた最初に戻る。メールを送ると約束したのだから送らなければいけない、と。 けれどきっとまだ打ち上げの最中だろうとか、疲れているんだからもう寝てしまったかもしれないとか、余計なことが次から次へと浮かんできて切りがない。 (だったらせめて――会えないなら、声だけでも――) 『きょうはお疲れさま――打ち上げだったんでしょう? どうだった――そう? きょうはゆっくり休んで――また明日学校でね』 口にする言葉を、何度もシミュレートする。周囲がすっかり暗くなってしまったころになってようやく、はリョーマの番号を選んで通話ボタンを押した。 すぐに聞こえてきたコール音に、心臓がドクンと高鳴った。 (やっぱりダメだ――) 切ってしまおうとしたその瞬間、の耳に飛び込んできたのは。 『? が電話くれるなんて、嬉しい――』 リョーマの声を聞いた途端、練習した台詞など吹き飛んでしまう。 「リョー、マ……」 『うん、』 「あ、の…………」 言葉が出ない。さっきあんなに考えて、あんなに練習したのに。 『?』 「うん、あの…………」 どうしよう――このままでは、リョーマに変に思われてしまう。 「あの、その……」 『ゆっくりでいいよ、。聞いてるから。だからちゃんと――が言いたいこと、言って』 耳元で囁かれるリョーマの声は、いつもに増して優しく温かく聞こえる。だからも――いつもなら決して言えない言葉を、口にしていた。 「――会いたい」 『すぐ行く』 耳元で低く囁かれたリョーマの声に、は我に返った。 「ダメ――だよ。疲れてるんだし。明日また学校で会えるんだし。ゴメン、ホント――今の、忘れて」 『嫌だ。俺も会いたい――すぐ行くから』 「でも、だって、リョーマ――」 『ならも来て。の家に行くまで待てない。途中にある、あの公園まで来て――そのほうが、早く会える』 「リョーマ――」 『俺、もう家出たからね』 その言葉を最後に、通話は切られてしまった。 「リョーマ!」 呼びかけても、ツーツーという音しか聞こえない。 「行か、なきゃ――」 もそのまま――片手に携帯を掴んだままで――家を飛び出した。 息を切らせて、それでも止まることなく走り続けてようやく公園までたどり着いたとき、入り口前のガードレールに座っている学生服姿のままのリョーマを見つけた。 ふたりの家の途中にある公園といっても、リョーマの家からのほうが断然遠いはずなのに、息ひとつ乱していない。 「ごめ……おそ、く……なって……」 「大丈夫? 座ろ」 リョーマの後に続いて公園に入り、ベンチへと腰を下ろした。周囲はすでに真っ暗で、公園のなかは小さな街灯に照らされてはいるけれど、あまり明るくもなく、ふたりのほかには誰もいない。 「ごめ……むり、に……来させ、てしまって……」 必死で呼吸を繰り返したけれど、慣れない運動をしたあとでは、なかなか落ち着いてくれない。 「無理じゃないよ。こそ、無理したよね。少し休んで――なにか、飲み物買ってくるよ」 待って――と口にする前に、身体が動いていた。の手は、立ち上がりかけたリョーマの腕を掴んでいて。 「あ――」 慌てて手を離したけれど、リョーマは笑って、の隣に座りなおした。の――すぐ隣に。 「解った。傍にいる。ねぇ、――寄りかかっていいよ」 躊躇っているに、リョーマが右手を伸ばしてくる。背中から回された腕に引き寄せられ、はリョーマの肩に頬を乗せた。 細い肩だ――でもとても力強くて、安心する。力を抜いて、は目を閉じた。 「――落ち着いた?」 やがて荒い呼吸が収まってきたころ、リョーマが言った。その声はリョーマの肩越しにの耳に響いてきて、少しくすぐったかった。 「……うん」 名残惜しかったけれど、顔を上げる。 「そのままでいてくれていいのに」 リョーマが少し拗ねるようにそう言ったので、は思わず笑みをこぼした。確かにも触れていたかったけれど、それ以上にリョーマの顔を見たくもあった。そして――ちゃんと顔を見て謝りたかった。 「ごめん、リョーマ。きょうは疲れてるのに、無理に――」 「ストップ」 リョーマはの言葉を遮って、覗き込むようにしてしっかりとの瞳を捉えた。 「ねぇ、。ホントの声、聞かせて。の、本当の声」 リョーマの左手がポンと軽くの胸を叩いた。の――心臓を。 「俺、に会いたいって言われて、嬉しかった」 「リョーマ……」 どうして――なんだろう。どうしてこんなに優しくて、力強くて、暖かいんだろう。 (リョーマの傍に、もっといたい――) 「……ケガ」 考える前に、言葉が口をついた。 「うん」 「もう――ケガ、しないで」 リョーマだってしたくてしたケガじゃない。それは解っているけれど、もうあんな思いをするのは嫌だ。 「うん、心配させた――ごめん」 は軽く首を振って、続ける。 「優勝、おめでとう。リョーマのプレイ、すごくカッコよかった。見惚れた」 「うん、ありがと」 リョーマが笑う。も自然と笑顔になる。でも泣きたくもなる。もうひとつ――心に溢れている、この思いを伝えなければ。違う――伝えたいんだ。 「好き――」 掠れる声、早くなる鼓動、熱くなる瞳――溢れる涙。 こんな気持ちになるなんて、もう一度なれるなんて、思ってもみなかった。あのときは臆病すぎてなにもできなかった。でもいまは伝えたい。もう二度と、後悔しないように――他ならぬリョーマが後を押してくれているのだから。 「好き……リョーマのこと、好き――」 「うん――、俺も好きだよ」 まるでよくできましたとでもいうような穏やかなリョーマの声がを包んだ。ふと伸ばされたリョーマの手がの頭を引き寄せ、ふたりの額が触れ合う。本当に目の前にあるリョーマの瞳に、は泣きながら微笑んだ。 「リョーマ――優勝、おめでとう」 は素早く言うと瞳を閉じて、自分からリョーマへ口づけた。 END
back to index *あとがき* 一話で考えていたのにラブ面強化だー!(?)とか思ってたら長くなりまして二つに分けてみました。手塚にはまたまた損な役回りをさせてしまっていますが、まぁこれはリョーマ夢ですから! |