さよならを言うまえに続編 After the story end



 タイミングが悪かったといえば、そうなのかもしれない。
 その電話が掛かってきたとき、部屋にいたのはひとりだけだったから。観月は朝から裕太と一緒に全国大会の青学の試合を見に行っていた。
 もちろん観月はにも声を掛けてくれたのだが、が人込みは苦手なのは知っていたし、それに――が聖ルドルフのメンバーの試合以外には、テニスに興味がないこともよく解っていた。
 だから観月と一緒にはいたいけれどどうしようかと迷っていたを見透かすように、観月は「アナタはここで大人しく宿題でもしていなさい」と笑いながら、の頭を撫でて出て行ったのだった。
 電話が鳴ったとき、たまたま近くにいたのもバトミントン部の生徒だったから、普通にに取り次いだ。テニス部の誰かだったら、たぶんに知らせる前に、観月に連絡していただろう。
「おい、お前に電話かかってるぞー。タカシってヤツから」
 その名前がにとってどんな意味を持つのか、テニス部員なら知っていたから。
「でないのか?」
 身体を強張らせたままで、動けずにいたを、彼が急かす。
 いまさらタカシがにどんな用があるのか解らない。正直、タカシに対していい思い出などないのだから、話をしたいとも思わなかった。
 けれどわざわざ向こうから電話をかけてきたのだし、電話だから突然殴られることもない。
話くらい聞くべきだろうと、は呼びに来てくれた生徒に礼を言って立ち上がり、電話機のある階下へ向かった。
「……もしもし?」
 恐る恐る受話器を取ると、ほっとするようなため息が聞こえた気がした。
『急に電話して、悪かった。ちょっと、お前と話したいことがあって……近くまで来てるんだけど、会えねえか?』
 これには、が息を飲む番だった。もう身体に痣は残っていないとはいえ、自分より身体の大きいタカシに殴られ、蹴られた記憶は消えていないのだから。
『その……お前のこと殴ったのは、悪かったと思ってる。もう二度とあんなことはしねえ。それも、会ったらちゃんと頭下げて謝る。土下座しろってなら、そうする。それとは別に、聞いて欲しいことがあんだけど……ダメか?』
 その声は、がいままで聞いたタカシの声とはまるで違っていて、ひどく不安そうだった。
「いい、よ……」
 は答えていた。観月に教えたら、ダメだと言うことは解りきっていた。だが、こんな真摯なタカシを、無視することもできなかった。
 聞けば、本当にすぐ近く――学園前のバス停を下りたところで、電話していたらしい。が門まで出て行くと、人目があるのも構わずに、本当にきちっと頭を下げて、タカシはに謝罪した。土下座までしそうな勢いの彼を、は慌てて止める。
 八月の野外で立ったまま話をするわけにもいかず、仕方なくはタカシを寮の食堂へと案内した。食堂には数人の寮生がいたし、人通りもあるから安全だと思ったのだ。
 けれどタカシは誰にも聞かれたくない話があるので、どこか二人きりになれるところに行きたいと言い出した。これにはも困ってしまったが、迷ったあげく自室へ通すことにした。
 タカシと二人きりになることに恐怖がないといったら嘘になる。けれど室内で騒げば誰かが駆けつけてくるだろうということと、最終的には先ほど謝ってきたタカシを信じようと思ったのだ。
 部屋に入ったタカシは並んだ机や二段ベッドを珍しそうに見回していた。自分の椅子をタカシに勧め、は観月の椅子を借りることにする。
 やがて口を開き始めたタカシの話は、にも信じられないことだった。
「お前……俺と血が繋がってるって、知ってたか?」
「え――?」
 言われたことがすぐには理解できなかった。と彼が血が繋がっている――それは、どういうことを指すのか。
「俺のおふくろは結婚しねえまま、俺を産んだんだし、俺が相手の男の浮気でできた子どもだってのは、知ってたさ。でも夫婦がうまくいってないから俺のおふくろと浮気して、もめたけどようやく離婚できて再婚したんだって、ずっと思ってたんだ。なのに――急に兄貴がいるって――しかも血の繋がった兄弟なんだって言われて――」
「そ、んな……」
 タカシの話を聞いて、も混乱した。父とは、が八歳になるまで一緒に暮らしていたのだ。タカシの存在を知っても、ただ父は子供のいる女性と再婚したのだとしか思わなかった。
「――俺とお前は、たった三ヶ月しか違わねぇんだぞ。お前のおふくろともヤりながらってのは、最低だろうが」
 吐き捨てるようにそう言って、タカシが俯く。
 そんなタカシを見ながら、はまだ知らされた真実が信じられずにいた。
 こうして見ても、タカシと自分に似ているところなど見つけられない。けれど半分とはいえ、同じ血を引いているなんて。
(父さんが、ふたりの女性を、その…………)
 自分の親のこととなると、とても考えにくい。自分が生まれてきた過程だということは解っていても、気持ち悪いと思ってしまう。
 ようやく、は気づいた。タカシはずっとそんな思いを抱えてきたのだと。
「あの……だから、ぼくに会いたくなかった?」
「……ああ。八つ当たりだって、いまは解ってる。本当に悪かったな」
 頭を下げたタカシに、は首を振った。
 暴力を振るわれたことは確かに痛かったし怖かったが、彼が誰にも言えずに苦しんでいたのだと解ったいまなら、許すことができる。
「ぼくはこの先、はじめくんの――観月くんのお家にお世話になるから、そっちの家と関わるつもりはないけど、でもその……よかったら、ぼくたちは友達になろうよ。兄弟にはなれないけど……友達になら、なれると思う」
 はタカシを見つめながら、懸命に自分の思いを伝える言葉を選んだ。
「ああ――、ああ、そうだな」
 顔を上げたタカシが、ほっとしたような笑みを見せた。が初めて見るタカシの表情だった。
 タカシが差し出してきた手を、が取って、握手になる。
 強すぎないように気を遣って触れているのがにもちゃんと伝わってきて、嬉しかった。タカシの大きな手は、もうの手を握りつぶすようなことはしないのだ。
 父にはもう頼る気はないが、タカシとなら、それなりにうまくやっていけるような気がする。
 彼と話ができてよかった――自然と、の瞳から涙が溢れてきた。
 そのときだった。突然、部屋の扉が開いたのは。
「なにをしてるんですか!」
 すごい剣幕で部屋に入ってきたのは、他の誰でもなく観月だった。
 どうして観月がここにいるのかと思う間もなく、の手はタカシから引き離され、を庇うように観月がふたりの間に立ちはだかっていた。
「寮内には他校の人間は立ち入り禁止ですよ。すぐに出て行きなさい!」
「なんだよ、てめぇ……」
 タカシに厳しく命令した観月と、観月を睨み上げるタカシ――その険悪な空気に、は慌てて割り込んむ。
「待って、観月くん! タカシくんは、謝りに来てくれたんだよ。怒らないで――」
「あなたは黙っていなさい」
 ピシャリと観月に叱られてしまっては、は口を閉ざすしかない。
「……ふうん。そういや、お前が観月ってヤツだったな」
「なんです?」
「いや。話は終わったんで、帰るわ」
 ゆっくりと立ち上がると、タカシはすれ違いざまにに「またな」と言って部屋を出て行った。
 扉が閉められた室内には沈黙が降り。
「……ふう」
 やけに大きく響いた観月のため息に、はビクリと身体を震わせる。
「ごめん、なさい……」
 恐る恐る顔を上げてそう言うと、黙ってを見下ろしている観月と目が合った。
、なにに対して謝っているんですか?」
 その瞳も声も、いつもの観月と違っていて冷たいものだった。けれど、ここで怯むわけにはいかないのだ。
 観月に、嫌われたくなんか、ない。
「タカシくんを、勝手に部屋にいれたこと――外か、食堂で話すべきだったと思う」
 ふうっと観月がまたため息をついた。
「そうですね。自分に暴力を振るった相手と、個室でふたりきりになるなんて、賢い選択とはいえませんよ、。解っているのに、なぜ部屋に入れたんです?」
「うん……。で、でもね、タカシくんは、謝ってくれたんだ。もう二度とあんなことはしないって。あれは――その、八つ当たりだったって」
「……八つ当たり?」
「うん――」
 一瞬、は話していいことなのかどうか迷った。だがが自分のことを話せる――解って欲しい――相手は、観月しかいないのだ。
「あの、ね……タカシくんは、ぼくの存在をずっと知らなくて、ぼくもタカシくんのことは知らなくて、きょうタカシくんはそのことを教えに来てくれたんだけど――。実はね、ぼくの父さんは、タカシくんの本当の父さんでもあったって」
 どうやって話したらいいのか解らず、迷いながらになってしまったが、はようやく知ったばかりの事実を観月に告げた。だが、観月の顔色は変わらない。説明が悪かったのかと、はもっと簡単な言葉で言い直した。
「だから、ね……ぼくたちは兄弟だったんだ」
 しかし観月は「そうですか」とだけ呟いて、つまらないことを聞いたとでもいうように目を逸らせた。そこでようやく、は気づいた。
「はじめくん……、知ってた?」
 あれだけ情報収集が得意な観月が、知らないはずはなかったのだ。
「どうして――どうして教えてくれなかったの?」
 背を向けた観月の腕に縋り付いて、は尋ねた。
 観月はの視線から逃れるように、目を閉じたまま口を開いた。
「知ったら――あなたはあの男のことを許すでしょう? 血の繋がった父親と弟と、やっぱり一緒に暮らしたくなったんじゃないですか?」
 観月の言葉はなげやりで、ひどく冷たいものだった。けれどその閉じられた目元が、苦しげに歪んでいて。
「そんな――そんなことない! 父さんたちと一緒に暮らしたくなんてないよ! ずっとはじめくんと一緒にいたい! はじめくんがいちばん大事――ぼくは、はじめくんが好きなんだ」
 自分でも驚くような声ではっきりと、は自分の気持ちを観月に伝えていた。
 大胆な告白を恥ずかしいと思う間もなく、は観月に抱きしめられていた。観月の香りが優しくを包む。
「……ようやく、言いましたね」
 頬に手を掛けられ上を向かされると、ふわりと魅惑的に微笑む観月が目の前にいて。
「ごめん、なさい……」
 は恥ずかしくて、少しだけ目を伏せながら告げる。
「なにに、謝っているんです?」
「ずっと――ぼくの気持ちを、はっきり伝えなかったこと」
 任せておきなさいという観月に頼りっぱなしで、観月を不安にさせていたなんて、気づきもしなかった。
「そうですね。それでは、お詫びに――、あなたからキスをしなさい」
 観月にそう言われては驚いたが、もちろん嫌ではない。それどころかも――触れたいと思っていたのだ。ほんの少し顔を寄せれば、観月の温度を直接感じられるその唇に。
 小さく頷いて、顔を寄せた――そのときだった。
「おい観月、帰ってるか――」
 突然、開けられてしまった扉。
「え? あ? あれ?」
 扉に手を掛けたまま、立ち止まっている赤澤。
 の背中に回されている観月の腕が震えている。どうしてこうタイミングが悪いんだろうと、ですら思わずにはいられない。
「ノックをしなさいといつも言ってるでしょう! このバカ澤ー!」
 観月の怒号は、きょうも聖ルドルフの寮内に響き渡るのだった。




*あとがき*   本編に入れられなかった設定です。密かに嫉妬してた観月を書きたかったんですが、あまり甘い感じにはなりませんでしたね。またいつかリベンジしたいです。赤澤オチはないヤツで(笑)