君を、見てる(後編)
次の日、は忍足と一緒に成田空港へ向かった。
迎えに行くということを叔父には知らせていなかった。帰国の連絡があったときに、乗る予定の便は聞いていたので、到着時刻は解っていたし、やはり驚かせたいという気持ちも大きかった。 「予定通り、着くみたいやな」 空港の到着ロビーには大きな表示板があって、世界各国から到着してくる飛行機の便名と到着予定時刻がズラリと表示されている。そのなかから叔父が乗っている予定の便を、いち早く忍足が見つけて教えてくれた。 「うん、そうだね」 正面の扉からは次々と、土産などのたくさんの荷物をカートに乗せて出てくる人たちが出てくる。もうすぐここから、叔父も現れる。が中学に入る前に渡米したのだ――会うのは実に二年ぶりになる。それまでは、ほとんど毎日会っていたのに。 「……なんだか、緊張してきた」 思わず呟いたの肩を、隣に立つ忍足が軽く叩いた。 「が緊張してどないするん?」 見上げるとそこに忍足の笑顔がある。 安心する――なにがあっても、忍足がついていてくれるのだと思うと、とても心強い。 「そうだよね」 忍足に微笑み返して、はふたたび扉へと視線を戻した。 それからそこで待ったのは、かなり長い時間になった。飛行機が到着してからも入国審査や荷物の受け取りなどですぐに出てくることはないと解ってはいたものの、それでももしかしらた見逃してしまったのじゃないかと思うほどに。 「いた――」 焦り始めたの瞳にようやく飛び込んできたその姿は、の記憶とほとんど変わっていなかった。 「叔父さんっ!」 は駆け出していた。 「お帰りなさい!」 思わず飛びついて――その位置がの覚えていた感触と違うことに驚いて顔を上げる。叔父の顔はすぐ近くにあった――当然だ、の身長は二年前より十センチは伸びているのだから。 「あ――……」 は慌てて身体を離して、俯いた。きっと耳まで真っ赤になっているだろう。もう小学生の子どもではないのに。 「、か……大きく、なったな……」 頭上から聞こえてくる叔父の声は、の記憶となんら変わることなく。続いての頭を撫でてきた大きな手の感触も、二年前と同じ――はゆっくりと顔を上げた。 「くん? 驚いた。雰囲気変わったね」 叔父の隣に立っていた人物が顔を覗かせる。叔父と一緒に出てきたこの人のことは、も覚えていた。一緒に遊んでくれたこともある、叔父の友達で仕事仲間の人だ。叔父に仕事の再開を強く勧めたこの人と、一緒に仕事をしていたのだろう。 「あ……の、おひさし、ぶり、です」 叔父と怒鳴りあっていた夜のことが思い出されて、再び緊張が戻ってきたは、言葉を途切れされながらも、挨拶をして頭を下げた。 「いいなぁ、迎えに来てくれるなんて。俺の迎えなんて、機材があるんだからって頼み込んでようやくOKもらった会社のヤツが――あいつ、ホントに来てくれてるんだろうな?」 彼がキョロキョロとの背後を見回す。も振り返って――どんな人込みのなかに紛れてもすぐに見つけ出せる、微笑んでじっとこちらを見守っている忍足のもとへ駆け戻った。 「子どもっぽいところ見せちゃって、恥ずかしい……」 「素直なんはええことや」 は頷く。それが大事だと気づかせてくれた、そしていまもそうさせてくれているのは――忍足のおかげだ。 は忍足の手を取った。 「来て、叔父さんに紹介する」 が再び戻ったそこには、すでに迎えに来たらしき会社の女性が合流していた。 とりあえず簡単に忍足のことを友達と紹介して、と忍足もその車に同乗させてもらえることになった。以前が通っていた叔父のマンションはすでに引き払っているので、都内のホテルで降ろしてもらい、チェックインして荷物を置いてから、タクシーでの家へ向かうことになった。 迎えにきた女性が乗ってきたのはワゴン車だったので、荷物を積み込んでも後部座席に忍足、、叔父と並んで座ることができた。助手席には叔父の友人が座る。 車が走り出してから、は叔父に忍足のことを詳しく紹介した。 「忍足はね、同じクラスなんだ。うちのテニス部、すごく強いんだけど、そこで天才って言われてるくらい、強くて、すごく……かっこいいんだよ」 の言葉に誰よりも素早く反応したのは、運転していた女性だった。 「もしかして氷帝学園の、忍足くん? 友達が月刊プロテニスで仕事してるの。芝っていうんだけど……」 「ああ、芝さんなら知っとるよ。芝さんと井上さん、ようウチに取材にきてたわ」 「あ、わたしティーンズ雑誌もやってるのね。モデル張りの男の子がたくさんいるって聞いて……今度取材させてもらおうかと思ってたのよ。どう、忍足くん、モデル、興味ない?」 「残念やけど、そぉゆうの、お断りしとるん」 「あら、残念ねー」 続けられていた忍足と女性の会話を聞いていただったが、驚くこともなくあっさり断った忍足に、きっとこういう誘いがなんどもあったのではないかと思う。 (でも、忍足なら当然だよね――) ついのほうが誇らしくそう思っていた。忍足は誰の目から見てもカッコイイのだから。 「……くんは?」 「え?」 叔父の友達に不意に名前を呼ばれて、は思わず声を上げる。 「くんは、モデルに興味ないかい?」 「あ、え……ぼ、ぼく?」 なぜここで自分の名前が出てくるのか、には理解できない。 「くん、綺麗になったよ。綾香さん――あ、いやくんのお母さんも綺麗な人だったけど、くんはまた独特の雰囲気がある。仕事抜きで撮ってみたいなぁ。そう思わないか?」 最後の言葉は、叔父に向けられたものだった。驚いたまま、は隣に座る叔父を窺う。叔父はを見つめながら、フッと軽く微笑んだ。 「そうだな……もう小学生じゃないな」 「なに、それ?」 ますます意味が分からない。確かに小学生気分が抜けてなくて飛びついてしまったりはしたけれど、変わったということなのか、それとも変わってないということなのか。 不安に思ったの耳に、叔父の指先が触れた。 「――綺麗になった。ピアス、似合うよ、」 それは――が、ずっとずっと、あの日から待ち望んでいた言葉で――…… 「で、くん、どう? モデル」 助手席から問いかけられた言葉に、は会話の途中だったことを思い出した。 「あ、あの――ぼ、ぼくには、務まりませんから」 断って、俯く。そうか、残念だなぁとか、気が変わったら連絡してくれよとか、言っていたかもしれない。けれどはろくに聞いていなかった。の頭のなかは、叔父の言葉でいっぱいだったからだ。 『ピアス、似合うよ――』 叔父が、そう言ってくれるなんて。 それから、どんな会話をしたのかろくに理解できないまま、ワゴンはホテルへと到着した。叔父の荷物だけを降ろして、このまま会社へ向かうというふたりとそこで別れる。 チェックインして部屋に荷物を置いてくるという叔父を、と忍足はホテルのロビーで待っていた。 その間ずっと、叔父にどうやってあのころのことを謝ろうかと考えていたのだが、その結論は叔父が戻ってくる前に出た。 「待たせたね、じゃあ行こうか」 タクシーに乗るためにエントランスへ歩いていく叔父の袖を、は軽く引いてこう言った。 「いまね、すごく毎日楽しいんだよ」 いまさら昔のことを蒸し返してもなんにもならないだろう。謝罪は、言葉ですればいいだけのものではないはずだ。きっと叔父なら、それだけ言えば解ってくれるはず。 「よかった」 そう言って、叔父はの頭を撫でてくれた。その感触は、やはりが馴染んだものと変わりなかった。 * * * 忍足は、口を挟むことなくじっと観察を続けていた。 三人を乗せたタクシーはほどなくの家へと到着する。助手席に座っていた叔父が支払いを済ませている間に、先に降りたは、義母に知らせてくると忍足に言って家のなかへと入っていった。 やがてタクシーは走り去り、残された忍足と叔父が対峙する。 「はいい顔で笑うようになった。忍足くん、きみのおかげかな?」 突然彼が言ってきた、その言葉に隠された意味に、気づかない忍足ではない。 「心配せんでも、は俺に依存してるんと違う。は、ちゃんと、強い。自分から変わったんや」 の母親の弟だということだが、から聞いた話では彼ととの間に血の繋がりはない。その事実どおり、確かに彼ととの間に、似てるところは見受けられなかった。だからこそ、が憧れたのかもしれないが。 (でも、負ける気はせえへんで……) 真っ直ぐに見つめ返した忍足に、叔父のほうが目を逸らした。 「そうだな……」 呟いたその顔には、諦めたような微笑が浮かんでいた。それ以上彼はなにも言わなかったし、忍足も彼と話したいことはなかった。 ガチャリと、背後で扉が開く音がする。 「どうぞ――上がって」 微笑んで扉を開けているに頷いて、忍足は再びの家へと足を踏み入れた。 叔父はの父と義母に挨拶をすると、彼の姉の位牌が置かれている仏壇にお線香をあげた。その後、義母が淹れたお茶をみんなで飲んだのだが、世間話程度の会話をしただけで、彼は夕食も断って帰ってしまった。 「用意してたんだけど、残念だわ。ねぇ、忍足くん、もう一泊していくのは無理かしら?」 叔父を乗せたタクシーが走り去るのを見送ってから、義母が言った。 「喜んで」 忍足は心からそう答えた。さすがに二泊することは考えていなかったが、ここへは制服のまま来たので、明日の朝ここから登校してもまったく問題はない。 答えてしまってから、忍足はに聞いた。 「ええ?」 「もちろん、だよ」 こうして忍足は、再びの部屋へと足を踏み入れたのだった。 ベッドを背に、が床に座る。忍足もその横へと並んで腰を降ろした。 「忍足――きょうはありがとう」 「なんもしてへんよ」 「ううん――一緒にいてくれて、心強かった」 どうやって謝ったらいいか分からないとは言っていたけれど、忍足が一緒にいた間、が叔父に謝罪の言葉を口にした様子はなかった。 こう言ったらどうかというようなアドバイスを忍足は一切しなかった。それはが決めることだからだ。もし相談を受けたら聞くことはしようと思っていたが、それもなかった。つまりも、迷ってはいても自分自身で考えると決めていたからだろう。 (ホンマ、はちゃんと強い――) 『毎日楽しいんだよ』 が叔父にそう言っていたのは忍足も聞いていた。 いまはもう逃げたりしていないというの決意を、あの叔父も分かったことだろう。 「――キレイやて言われたやん。ピアス、似合うて」 認めて欲しかった相手に言われたのだ――きっととても喜んでいると思ったのに、の返事はあまり抑揚のないものだった。 「うん……」 「どうしたん? 嬉しないんか?」 「嬉しいは嬉しいんだけど、その……忍足に言われたときのほうが嬉しかった」 さらりと言ってのけたは、その言葉がどんな意味を持つのか、気づいていないようだった。忍足は飛び上がって喜びたいところだったが、必死で抑えた。 「俺も、にかっこええて紹介してもろて、嬉しかったわ。他の誰に言われるより、に言われるのがいちばんええ。いちばん嬉しい」 解ってくれるだろうか? それは好きという感情から生まれる思いだということを。 「忍足……」 「なぁ、。“忍足”て、呼びにくいやろ?」 侑士て呼んでくれへん――そう続けるつもりだったのに。 「ううん、言いにくくないよ。“忍足”って、すごく――いい響きだよね」 そこまで言われてしまっては、下心いっぱいの言葉を口にできるはずもなく。 「くーん」 よかったのか、悪かったのか――のタイミングで、義母に呼ばれて、が階下へ降りていく。戻ってきたは、紅茶の入った二つのカップと、そして小さな箱の乗せられたトレイを持っていた。それを見た瞬間から、忍足には嫌な予感がした。 「叔父さんからもらったお土産のなかに、ぼく宛のがあったって」 床にトレイを置いたが、箱を手にとって開ける――そこに入っていたのは、小さいくせに神々しいまでの光を煌かせるダイヤモンドのピアスだった。 「叔父さん……」 はじっとピアスを見つめたまま、呟いた。 やられた。完全に持っていかれた。見かけより曲者そうだと忍足は踏んでいたが、諦めて引き下がったのだと思っていたのに。 「あの、ね。これ、つけてくれない?」 が箱を忍足に差し出す。嫌だと断りたかったが、正当な理由が見つけらず、忍足は受け取った。 忍足が必死で見つけたのルビーのピアスがの手によって外された。仕方なく、忍足は箱からピアスを取り出して、目を閉じているの耳に、一つずつつけていった。 「ありがとう」 目を開けて微笑んだの耳に煌く光――悔しいけれど、やはり似合う。 「、キレイや……」 「やっぱり……侑士に、そういわれるのが、いちばん嬉しい」 「――」 いま、なんて? 「侑士、って、呼んでもいい? ふたりだけのときは」 「あかん!」 「え?」 思いがけず強い口調になってしまった忍足の否定の言葉に、の瞳に不安が揺らめく。忍足はそんなの両肩を掴んで、はっきりと告げた。 「ずーっと呼んで。ふたりだけのときも、他に誰がいるときでも」 「う、うん……」 頬を紅く染めて頷いたの耳を飾る輝くダイヤ。確かにによく似合ってるけれど、それがそこにあるのは、いつか忍足がに自分の稼いだ金で買ったピアスを贈るまでの、ほんの短い間だけだ。そのときまでは、その場所はアイツに譲ってやる。 「そぉや、。子供のころの、見たい。アルバム見してくれへん?」 「え……あ、うん」 アルバムを出してきたをベッドに座らせて、忍足はその隣に座って、一緒に覗き込む。 (負けへんで。ホンマのの隣には、俺がずっとおるんやからな) その日を飾る光に、忍足は宣戦布告したのだった。 END
back to index *あとがき* もちょっと進展するかと思ってたんですが、いきなりは無理だったようで。しかし敵はダイヤモンドですよ。忍足はなにを贈ったらいいのか……(汗) |