恋はここから 3
『ねぇ、くん。都大会、見に来てみない?』
そう言って誘ったのは千石だったし。 実際、室町にも先輩命令と称して誘わせたし。 都大会の決勝、青学との試合のギャラリーのなかに、がいるのは当然の結果だったと思う。 だが、桃城との試合で自分が負けることは、千石には予想もできないことだった。その上、青学の一年と戦った亜久津まで、負けてしまうなんて。 閉会式にも出ず、着替えて帰ろうとする亜久津を、追いかけて行ったのは壇だ。千石は閉会式に出席しながらも、その動体視力でがいまだギャラリーのなかにいることを確認していた。 だから式が終わったあと、千石はすぐにのもとへと向かったのだ。 「ね、くん。亜久津帰っちゃったけど、くんは追いかけなくていいの?」 「はい」 近づいてきた千石に、開口一番そう言われて、は驚きつつもそう答えた。けれどなぜそんなことを尋ねられるのか解らない。 「あの……なんで千石先輩はそんなに亜久津先輩のことばかり言うんですか? きょうは室町と千石先輩に言われたから、ふたりの応援に来たんですけど」 「え? そう、だったんだ」 の言葉に千石は驚いた様子を見せたが、その問いに答えることはなく「すぐ戻ってくるから、待ってて」と言い残して去っていった。そして再び、千石はラケットバッグを背負って、室町とともに現れた。 「室町――」 なにが起こっているのか解らず、は室町に声を掛ける。すると室町は横に立つ千石に肘でつつかれていた。 「きょ、今日はありがとな、。で……悪いんだけど、俺はまだちょっと、片付けとかあるから、先に帰っててくれるか? その……かわりに、千石先輩が、奢ってくれるって、言ってるから――」 「そ! まだ仕事のある室町の代わりに、俺がくんにお礼するよ! 疲れたでしょ? なにか冷たい物でも飲みに行こう。ああ、室町も――時間があったら、あとからきなよ」 「は、はぁ……」 力なく、室町は頷く。千石の言外に含まれる『来るなよ』という意味に、気づかないのはだけだ。 当のはこの展開にあまり納得がいっていないようだったが、あとから室町も来ると思ったのだろう――「じゃあ、またあとで」と室町に告げると――千石と並んで歩き出した。 「断じて、俺は、友達を売ったワケじゃないぞ……」 二人の背中を見送りながら呟いた室町の言葉は、当然ながらには届かなかった。 「それにしても、今日は負けちゃっていいとこ見せられなくて、残念! でもさ、準優勝だから関東大会には出られるし、だからまた応援来てくれないかな? 今度は勝って、カッコイイとこ見せるからさ!」 後輩を脅して貴重な時間を手に入れた千石は、実にさりげなく、試合会場だった公園の人気のないほうへとを誘導していた。今回、自分(と室町)の応援に来たとはっきりは言ったのだから、誘えばまた来るだろうと思いながら。 けれど隣を歩くは、なにか考え込んでいるようで、返事がない。二人きりになれるところを探している千石の意図に気づいている様子ではなさそうだが。 「どうかした?」 千石は足を止めて、つられるように立ち止まったの顔をのぞき込んだ。やはり、負け試合を見せられて、がっかりしたのだろうか。 「……カッコよかったですけど」 「え?」 は千石を見返しながら、はっきりと告げる。 「結果的には負けちゃいましたけど、でも、千石先輩、カッコよかったです。あの、ジャンプしてサーブするのとか、びっくりしました。テニスって、すごいスポーツなんですね。見に来てよかった――誘ってくださってありがとうございました」 言い終えたが、ペコリと頭を下げる。 「くん……」 まさか、そんなふうに言ってもらえるとは思っていなかった。 負けた試合だ――一年のルーキーとやりたかったと相手をなめていたのは事実だし、その相手はケイレンをおこしていたのも事実だ。 勝つつもりだった。いいところを見せようと焦っていたわけではなかったのに、それでも勝てなかった。 みなの前で笑いながらも、悔しさは常にあった。戦った相手――桃城にではなく、力の及ばなかった自分自身へ。 「ありがとう!」 思わず千石はを抱きしめていた。 彼の言動は、負けた千石を慰めようというものではないだろう。ただ素直に、が感じたことを言ってくれたのだ。 「ありがとう、くん。今度は、キミのために勝つよ」 千石は素早く、の頬にキスをした。わざと大げさな音を立てて。 「え……」 千石の腕のなかで、みるみるうちにの頬が赤く染まってゆく。けれどは千石の腕を振り払って逃げようとはしなかった。 「こーゆーのは、その……」 困惑している様子のを、あえて千石は遮った。 「ゴメン、気持ち悪かった?」 「いえ、気持ち悪くはなかったですけど……その、あまり、突然する、のはよくないと……」 気持ち悪いかと問われれば、きっとは違うと素直に答えると思った。だが、こうくるとは思わなかった。ならば次に千石が尋ねるのはこうだ。 「じゃあ、予告すればいい?」 「それは……断る権利もありますよね?」 「もちろん。でも、断られると傷つくな〜。なるべく断らないでくれると嬉しいんだけど」 至近距離からの上目遣いのおねだり――どうやらこれは、にも有効だったらしい。 「……検討してみます」 素っ気なくはあったが、真面目でらしい返答に、千石は笑みを押さえきれなかった。 「ところでくん、いいや、くん。亜久津とは、以前どこかで会ってたの? ぼくのこと覚えてないと思う――とか言ってたよね?」 自動販売機でジュースを買って、空いているベンチに腰を下ろした。もちろん周囲に人はまったくいないのは確認済みだ。 千石はの座るベンチの背もたれに片腕を預け、いつでも抱き寄せられる準備を整えてから、ずっと聞きたかったことをはっきりと切り出した。 「それは……」 突然千石が名前の呼び方を変えたことに、が気づかないはずはなかっただろうが、そのことには特に触れることもなく、少し考えたあと、は千石の問いだけに答えた。 「……亜久津先輩には、絡まれてたのを助けてもらったことがあるんです」 「ええっ? あいつが君を助けた?」 千石は思わず声を荒げてしまった。亜久津が、誰か――他人を助けるなんて、信じられない。 「助けたというのは、違うのかもしれませんが。変な男の人にビルの裏に連れて行かれたときに、そこで亜久津先輩が、ケンカしていて」 そのときは、それが亜久津先輩だって知らなかったんですけど――と淡々と話すの言葉には、聞き流してはいけないものが含まれていた。 「ちょっと待って。その変な男っていうのは――」 「ああ……、塾の帰りだったんですけど、知らない人から声を掛けられて。知り合いの亡くなった息子さんにぼくが似てるから、ちょっと会ってやってくれないかって。ついて行ったら、どんどん人のいないほうへ行くからおかしいなって思ったんですけど、でもぼくは盗られるようなお金ももってないし」 「だからって、ついてっちゃダメだよ!」 どう考えてもそれはエロいこと目的なんだから、と思ったが、まったく気づいていないらしいにそこまでは言えなかった。 「ええ。迷って帰れなくなりそうだったから、やっぱり帰りますって言って、帰ろうとしたんです。でもそうしたら腕を掴まれて無理矢理ビルの裏手に引っ張られて――そこに、亜久津先輩がいたんです」 「で、亜久津はどうしたの?」 「邪魔だって、その男の人を殴り倒したんで、ぼくはそのまま逃げたんです。お礼を、ちゃんと言わなきゃいけないって思ったんですけど、そのときは逃げることしか考えられなくて」 「そりゃ当然だよ……くんが無事でヨカッタ」 偶然その場に居合わせた亜久津に感謝するのと同時に、その場に自分がいなかったことが悔やまれる。 「キミをひとりで歩かせるの心配。俺の腕のなかにずーっと閉じこめて置きたい気分だ」 「なんですか、それ」 不思議そうに言い返すは、まったく自分の魅力に気づいていないらしい。自他共に認める女好きの千石をここまで惹きつけていることにも。 「言葉通りの意味だよ」 千石は両腕で輪を作って、上からの身体にくぐらせてゆく。そして、腰のあたりで停めた。 「で、くん。キスしてもいいかな?」 「えっ…」 の答えがどんなものでも、待つってなんて楽しいことだと、腕のなかで頬を染めて狼狽えるを見ながら千石は思うのだった。 *あとがき* 続き書いたの三年ぶり? ですかね……すみません。とりあえずタイトル通りの展開になったかな。このあと主人公がどうなるのかも、書いてみたいですが(笑) |