強いことを知っている
その日の昼休み、昼食を食べ終わったあと、大石は手塚のクラスへと向かった。ただでさえ目立つ手塚は教室のどこにいてもすぐに見つけられる――最近はさらに目を引くと常に一緒いるのだからなおさらだ。
教室を覗き込んだ大石の目に入ってきたのは、窓際の後ろの席に座ってノートを広げていると、その前の椅子に横向きに座り、の広げているノートを指差しながらなにか説明している手塚の姿。近くにクラスメイトの姿もなく、そこだけ異質な空間のようにも見える。手塚もも、年齢よりずっと落ち着いた雰囲気があるから、近寄りがたく見えてしまうのだろう。だからといって人目をひく存在であることには変わりない。大石がざっとクラス内を見回すと、ふたりのほうをチラチラと見ているクラスメイトは大勢いたから。 そんななかでふたりに近づいていけることに少しだけ優越感を感じながら、大石はクラス内に足を踏み入れながら声をかけた。 「手塚――! 邪魔をしてすまないな、」 「いや。なにかあったのか?」 すぐに顔を上げた手塚に、大石は用件を伝える。 「竜崎先生からの伝言で、今日の放課後、部活前に4月のランキング戦のメンバー表を決めて欲しいそうだ」 「解った」 いつもながらの簡潔な返事を聞き、役目を終えた大石がに視線をやると、顔を上げていたと目が合う。ジッと黒い瞳で大石を見つめたが、軽く首を振った。先ほど大石が言った「邪魔をしてすまない」という言葉に律儀に返してくれているのだと、大石にも最近はようやく解ってきたので、大石もに微笑み返した。 「そういえば、はどこかクラブには入らないのかい? テニスもできるんだろう?」 竜崎先生に「打っていくか?」と声を掛けられていたのも聞いていたし、なにより手塚と昼休みに打ち合ったという噂も大石は聞いていた。制服のままで、軽く二、三球続くだけのラリーをやっただけだというのは後日手塚本人から聞いたのだが、手塚が相手をするのだからそれなりに打てるのだろうとは思う。もちろん、手塚はどんな初心者を相手にしても、コート内にボールが入ってきさえすれば、相手に打ちやすいように返球することができるだろうが。 大石の言葉に、は少しだけ考えるように視線を落としたあと、口にした。 「運動部には、入らないほうがいいって、竜崎先生が。試合、出られないから」 「試合に出られない? 確かにテニス部はランキング戦に勝てなきゃレギュラーにはなれないが――」 「大石――」 大石の言葉をさえぎるように手塚が低く大石の名前を呼んだのだが、その意味に気づくことなく、はあっさりと告げた。 「歳が、違う、から。ケガで……なんて言うんだ、手塚? 病院……」 「入院、か?」 「そう、入院。してたから、歳がひとつ上、だから」 「そうだったのか――すまない」 確かに大石にもは落ち着いて見えたが、その子供のような喋り方のほうが印象が強く、まさか年が違うとは思っても見なかった。ケガをしてリハビリをしていたというのは、以前リョーマとの会話のなかで聞いていたはずなのに、それを失念していたことを大石は恥じる。手塚の眉間にも密かにしわがよっている。けれど当のだけが、まるで気にしていなかった。 「いまは、もう治った。ランキング――せん?」 は簡潔に言うと、手塚に尋ねていた。 もう治った――それだけのの答えは、大石の気持ちを察してのことではないのかもしれないが、必要以上に気にすることではないと言われているようで大石もほっとする。もちろん、もう不用意にその話題を向けようとは思わないが。 「毎月、テニス部のメンバーを4ブロックに分けてリーグ戦をしている。各ブロックの上位二名が、レギュラーとなる」 手塚の答えを一言づつゆっくりと理解していったらしい。少ししては、楽しそうにくちもとをほころばせながら言った。 「リョーマの試合、見にいく」 その言葉に、手塚がを見返した。二年間手塚と付き合ってきてもなかなかその表情を読めない大石だったが、いまの手塚の心情は察することができる。だから手塚の代わりに、大石はに言った。 「残念だけど、――一年生は、九月までランキング戦には参加できないんだ」 大石の声に、が顔を上げて大石を見上げた。大石はもう一度、解りやすいようにと言葉を変えて繰り返した。 「新入生である越前は、ランキング戦には参加できないんだよ」 「リョーマが、試合、できないの? どうして?」 そのときのを正面から見てしまった大石は、の笑顔を初めて見て胸が高鳴ったときと同じく動揺した。見開かれた哀しそうな瞳は、振り払ったらまるで泣き出してしまいそうで。 「でで、でもまぁ、それは基本的にってことだから、最終的に決めるのは手塚なんだ」 「手塚?」 名前に反応するようには手塚に向き直ると、もう一度繰り返す。 「リョーマが、試合、できないの?」 の黒い瞳は、至近距離で手塚を捕らえていた。 最初にが姿を見せたときからリョーマと仲が良かったため、大石は従兄弟かと思っていたのだが、後日幼馴染みであると乾からの情報で知った。両親は日本人だが、産まれたのはロサンジェルスで、日本に来たのは初めてだということも。は、真っ直ぐな黒い髪と相まって、無表情のときは少々冷たそうな顔立ちに見える。けれどアメリカ育ちのは、まっすぐに相手を見る。相手の目を。見つめるだけで――その心のうちが伝わってくるくらいに。 あんなすがるような目で見られたら、なんだってやってしまうだろう――大石がそんな考えに頬を染めたときだった。 「――考えておく」 手塚の放った低い声が、大石の耳にも届いた。手塚の返答を聞いたは、能面をかぶるかのようにスッといつもの無表情に戻ってしまったのだが、異議を唱えないということは、手塚の決定を待つということなのだろうと大石は思う。当初はあまりに理解できずに焦ったが、知ってしまえば、逆に裏表がなく理解しやすいかもしれない――そう考える大石は、自分がすっかりに惹かれていることに、いまだ気づいていない。 「じゃあ、また。放課後」 笑顔で一組の教室を後にした大石は、再び手塚と会った放課後、残されたメンバー表に越前リョーマの名前を見つけて、竜崎先生の後押しというよりは、あのの表情だろうなぁと思うのだった。 校内ランキング戦が行われたのは、その次の日曜日のことで。 リョーマの試合を楽しみにしていたは、残念ながら古文と漢文の補習授業を受けなければならなくなってしまい、朝からテニスコートへ見学に行くことはできなかった。なんとか授業を終わらせてがテニスコートに駆けつけたとき、コートではリョーマと海堂――もちろんは名前を知らなかったが――がお互いに汗をかきながら対峙していた。 「間に、合った……」 駆けてきたことで少し息をあげながら、は手塚の隣に立った。コートを取り囲むフェンスよりかなり後方の、乾と大石が立っている位置よりさらに後ろにいたのに、コートに立つリョーマは、が来たことに気づいた。手塚の隣に立っていることは、気に入らなかったけれど。リョーマはニヤリと笑って、海堂のサーブを待った。 「……『スネイク』って、“バギーホイップ・ショット”のことだよね?」 海堂に向かって言った言葉が、のところまで聞こえることはなかったけれど。リョーマの返したボールは大きなループを描いて海堂の前をストンと通り過ぎた。 リョーマの返球に歓声が湧くなか、は微笑んでリョーマを見つめながら「負けず嫌い…」と小さく呟いた。 「越前は試合慣れしてるな。相手はお前か、?」 手塚の問いに、は微笑みを浮かべただけで答えなかった。そしてすぐに、コート上で続けられている試合に視線を戻し、熱心に見つめる。 結果、その試合は6-4でリョーマが勝利を決めた。その直後、海堂がラケットで自分の膝を叩く。何度も何度も。その激しさに、周りで見ていた部員達が怯えていたが、レギュラーたちも誰も止めようとはしなかった。試合に負けた悔しさは、その本人にしか解らないのは、お互いに良く知っているからだ。もちろん自傷行為はあまり褒められたことではないが、自分の足がもう二度と使い物にならなくなってしまうような限度は、自分だからこそ心得ているだろう。 けれどやはり、見ていて気持ちのいいものではなかったが。 海堂の膝から血が滲んできたことで、手塚は隣に立つを見た。 手塚の心配を余所には静かだった。だが少しだけ険しい目をして、海堂のその行為を見つめていた。よろけつつコートを立ち去ろうとする海堂をチラリと見ると、は手塚に向き直った。 「痛いのは、よくない」 呟くように、は言った。 「痛いのは、よくない」 再びそう繰り返す。 「ああ――そうだな」 手塚が相づちをうつと、がスッと手を伸ばした。の指先が手塚の組んでいた左腕にそっと触れる。 「痛いのはよくないよ、手塚」 「、お前――」 手塚は驚いてを見返す。ヒジのことは大石にしか知られていないし、大石が軽々しくそれを喋ることはないはずだ。日常生活に支障があるほどの痛みはない。ただ、テニスをするときに気をつかわなければいけないくらいで。 「手塚、強い。知ってる」 とコートで向き合ったのはまだ一度だけ。昼休みに、少しだけ打ち合った。二、三球しか続かずにアウトになってしまうラリーを、五分強続けただけだ。ヒジに負担がかかることもない簡単な打ち合いで、が気づくはずはない。偶然? いや、それなら――それなら、そう。どうしては、手塚が打ちやすいコースとスピードで返した球をすべて三球目でコースアウトさせたのだ? 見返すことしかできずにいた手塚の前で、報告でも読み上げるように淡々としていたが、一瞬で嬉しそうな笑みを浮かべた。 「でも手塚、もっと強い。強くなる――You still have lots more to work on.」 最近はあまり使うことのなかったの突然の英語に、聞き取ることのできなかった手塚は聞き返そうとした。 「!」 「リョーマ!」 けれど名前を呼ばれただけで、手塚と話していたことなど忘れてしまったかのように駆け出してしまったに、再び問うことはもはや不可能だった。 は、リョーマにだけ見せる全開の笑顔で、その頬にキスを贈っていた。 「お前と戦う前に、まず越前を倒さなければならないということか……」 無意識のうちに左ヒジをさすりながら、手塚は静かにそう呟いていた。その言葉にも、そして手塚が内心とても楽しく思っていることも、もちろん誰にも気づかれることはなかったのだけれど。
END
back to index *あとがき* 「いちばん強いのは南次郎おじさんだけど」って、オチにするはずの話が、どこでどう曲がってしまったんだか。越前家ドリから手塚ドリに軌道修正しようとして、中途半端になってしまった気が……いい加減手塚ともちゅーくらい、ねぇ?(聞くな) |