ホンマの気持ち? 3
「えっ、千歳が退部?」
全国大会三日目、不動峰中との準々決勝に勝利した四天宝寺テニス部メンバーのなかに、千歳千里の姿はなく。 「なに考えとんねん、準決勝を前に」 次の準決勝のオーダーを発表する前に、監督である渡邊オサムの口から告げられた真実に、レギュラー達がざわめく。 も突然のことに驚きを隠せず、ただ狼狽えるばかりだった。 「ん、?」 そんなに気づき、立ち上がったのは遠山金太郎。 「おっしゃー! わいが連れ戻して来たるで!」 走り出した金太郎の前に、すかさず立ちはだかったのは白石その人で。 「そっとしときぃや……、金・太・郎」 スルスルと包帯を外す白石に、金太郎が後退り、場が落ち着いたところで、監督からのオーダー発表になった。 シングルス3に白石、ダブルス2に小春とユウジ、シングルス2に銀、ダブルス1に謙也と財前、そしてシングルス1には金太郎。控えに副部長の小石川。 四天宝寺とて選手層は厚い。千歳が抜けてしまっても、問題なく次の準々決勝に立ち向かうことができる――はずだか、の気分は晴れなかった。 その後、応援席と試合に出るメンバーの入場口の説明があり、それそれ時間まで解散ということになった。 が顔を上げると、目の前には白石が立っていた。いつもと変わらない笑顔を浮かべる白石が。そして、気づく。 「白石……、知ってた?」 あまりに驚いて他のメンバーの反応を見る余裕もなかっただったが、走り出そうとした金太郎を白石があっさり止めたことは覚えている。突然の発表を前に、白石は冷静過ぎた。 「知ってたんやな?」 いくぶん強い口調で問い詰めると、観念したように白石は頷いた。 「俺かて、聞いたのはついさっきや。さっきの試合終わったあと、監督と話があるからつきあえ言われて行ったら、千歳のヤツ、監督にも何も言わんと黙って退部届出したん」 「なんで――」 止めなかったのかと叫びそうになって、は口を噤む。 「俺かて、止められるもんなら止めるわ。けど千歳がそんなんでいったん決めたこと取り消すようなヤツやないって、かて解るやろ?」 言えなかった理由を正確に当てられ、は反論することもできず、俯くしかなかった。 「そやけど……」 解っている。もっと一緒にやろうと引き留めても、千歳が自分で決めたことを簡単に譲るようなヤツではないということは。 今年の四月に新入生として金太郎が、転校生として千歳が入部してきて、は控えに回ることになってしまったが、悔しさよりも、頼もしい仲間が増えたと胸を高鳴らせたのを覚えている。 千歳は自由気ままで、フラリと教室を出ては戻ってこないことも多かったが、テニス部の練習には遅れてくることもなく、サボったこともなかった。 一歩引いて見ているときもあれば、スッと中心に入っていることもある――そのバランスの良さで、あっという間にチームに馴染んでいた千歳。 四ヶ月――、時間にすればそれだけなのだ、千歳と一緒にいたのは。けれど、が抱えるこの消失感はなんだろう。 「なぁ、。千歳が抜けるんは痛いけど、アイツが決めたことやし、しゃーないやん」 俯いたの肩に手を掛け、白石が言う。 「それに……千歳が退部すれば、試合に出られる機会も増えるで。かて、そろそろ試合出たいやろ? また俺と、ダブルス組みたない?」 からかうような白石の明るい声に、のなかのなにかが切れた。 「そんな……そんなこと考えるわけないやろっ!」 は白石の手を振り払って睨みつけた。 「お前となんか一生組まん! 白石のドアホッ!」 思い切り叫ぶと、はその場から走って逃げ出した。 しばらく走り続けたあと、建物の陰に見つけたベンチに腰を下ろし、息を整える。 なんてことを言ってしまったんだろう――口にした瞬間から、は後悔していた。だからこそ、白石の顔を見ることができなかった。 の言葉を、白石はどんな表情で聞いていたのだろうか。 「なに隅っこで落ち込んどんねん。試合、始まるで」 頭上から降ってきた声の主は、の隣にドカッと腰を下ろす。 は顔を上げなかった。忍足謙也の声だと解っていたから。ユウジのモノマネの可能性もあるが、この際どちらでも構わなかった。 「……行かれへん」 は項垂れたまま呟いた。 「俺、サイテーやわ。白石の言うとおりや。強いヤツがコートに立つのは当たり前やのに、千歳が辞めたら、俺も試合に出られるかもしれんて、心のどっかで思ったもうた」 あんなふうに白石に怒鳴り返した理由はたったひとつ――痛いところを突かれたからだ。はっきりと自覚していなかっただけで、自分がそんなことを考えていたなんて。 「そんなん思うたら、俺どんどんひどいこと考えてまうん。なんも言わんと辞めよるなんて、千歳は橘のが大事で、俺らんことはもう仲間やと思うてへんのかとか……。そんなはずない、千歳かてきっと、ぎょうさん悩んだはずやのに。ホンマ、サイテーやわ」 「そんだけが千歳んこと好きっちゅーことやろ。サイテーなんかとちゃうで。サイコーやんか」 その力強い言葉に、はようやく顔を上げる。そこにいたのはやはり謙也で、励ますようにの背中をポンポンと叩いてくれた。 謙也が見せた笑顔にほっとして、微笑みを返しそうになっただったが、すぐにもう一つの後悔を思い出して顔が強張る。 「白石にも、ひどいこと言うてもうた……」 あんなこと、言うつもりじゃなかった――は再び俯いてしまう。 「白石とダブルスするん、好きや。楽しい。けど、試合は別や。どうしたって俺が白石の足引っ張ってまう。白石の完璧なテニスを、俺が崩すようなマネでけへん……」 白石との会話を知らない謙也には、かなり説明不足な言葉だっただろう。けれど謙也は聞き返すことなく、軽い口調でこう言った。 「俺なんかオサムちゃんにまで、光の足、引っ張るなて言われとるやん」 その言葉を聞いた途端、はバッとその顔を上げて、叫んだ。 「そんなん! 謙也が引っ張るわけないやろ。ホンマのことちゃうから、ゆえることやんか! 謙也がめっちゃ強いのなんて、みんな知っとる!」 真っ直ぐに謙也を見つめる、真剣な瞳。その透き通るような眼差しには、謙也への信頼が溢れていて。 「そない可愛いの、反則や…」 謙也は思わず自分の口元を押さえて呟いていた。 「え……?」 聞き返すの黒い瞳は、なおも純粋に謙也を見つめている。その姿はつい手を伸ばして抱きしめてしまいそうなほど可愛い。 同じ歳の、しかも男なのに、こんなに可愛いのは反則だろう。 手をほんの少し伸ばせば、届く距離にいる。けれどそんなことをしたらもう、この瞳はこんなふうに真っ直ぐに謙也を見つめてくれることはなくなるのだろう。の信頼を裏切るのは怖い。それになにより。 (もうとっくに、白石のことしか見てへんもんなぁ……) 自分で出した結論に力が抜けた謙也は、フッと笑う。そしてなおも謙也を見上げていたに向かって告げた。 「俺かて、このまま千歳に辞められるんはおもろないわ。けど正面からゆうても、あの千歳が、はいそうですかて戻るわけないやろ。せやから、俺に考えがあるん」 の耳元に口を近づけ、そっとその考えを話す。 「それ……」 驚いて目を見開いている姿も、やはり可愛い。 なにも言えなくなっているへ手を伸ばし、謙也はの手をギュッと握りしめた。 (このくらいの役得もらわんと、割に合わんやろ) 「ほな、オサムちゃんのとこ行くで!」 謙也はの手を掴んだまま、走り出した。 |