第十話  秘められた心は明かされる時を待ち




「ついて来てください」
 と言ったアームストロング少佐が司令部の外へ向かったので、ヒューズは車で来ていることを告げた。ヒューズが運転席へ乗り込み、アームストロング少佐に後部座席に座るように言う。
「で、どこへ向かえばいいんだ?」
 ヒューズの言葉に、少佐は静かに答えた。
「大総統府の――国家錬金術師機関へ」
 それはロイが示した手がかりに関わる場所で、だからこそ次にヒューズが向かおうとしていた場所でもあった。だがまだ彼の知っている情報が有益だと決まったわけではない。ヒューズは抱いた驚きを表には出さずに「解った」とだけ答えて車を発進させた。
 大総統府のなかへ入るのは身分証の提示だけで済むのだか、国家錬金術師機関へはそうはいかない。身分証の提示はもちろんのこと、なかの資料を見たければ申請をしなければならないし、それが通るとも限らない。けれどアームストロング少佐が同行していたおかげで、申請もせずに、奥の記録保管庫へ入ることができた。200人近い国家錬金術師の名簿――ヒューズが見たいと思っていたそれを余所に、少佐が向かったのは簡易ファイルがズラリと並べられている場所だった。
「受験者名簿……?」
 棚に並ぶファイルの背表紙を、ヒューズは読み上げた。毎年多くの錬金術師が受験する国家錬金術師の試験――その受験者は多く、合格者は少ない。
「こんなに受験してるヤツがいるのかよ…」
 棚を見上げて、ヒューズが独り言のように呟く。
「それでも一部だけです。実技まで行かなければ、ここに残されることなく消去されますのでな」
 答えながら、アームストロング少佐はその背に書かれた年号から一冊のファイルを取り出し、捲り始めた。抜いた間のファイルから見て、それは二年前のもののようだった。
「……コレです」
 やがて一枚のページを開き、少佐は差し出した。ヒューズは素早くそれに目を通す。
 そこには、優しげな顔立ちの金髪の女性の写真があった――その姓は、確かにと記されている。
 住所はダブりス――医師免許を所持しダブりスの病院で勤務しているとのこと。家族構成は両親死亡、弟のみ。
(弟――)
 ロイの言っていたキーワード「女性」「錬金術師」「医師」すべてに当てはまる。そしてその容姿も「金髪」だ。弟の名前までは記されていなかったが、それがロイの捜しているである可能性は高い。
「少佐! ありがとな、どうやらビンゴだぜ。この女性はいまどこに――ああ、いや、ダブりスの病院にいるのか?」
「知りません。彼女は一年ほど前に姿を消しましたから。少なくとも、ダブりスの病院へは戻っておりません」
 淡々と、なんでもないことのような調子で答えてはいたが、その眉間に皺がよっていることに気づかないヒューズではない。さらにその答えから、二年前に受験した彼女のことを、一年前までは知っていたということ、そして――戻っていないことを言い切ったということは、現在までも調べているかもしれないということ、が解る。
「少佐……彼女とはどういう関係なんだ?」
 ヒューズの問いに、アームストロング少佐は目を逸らして俯いた。
「――それは、命令ですか?」
 温厚で人情に厚い彼が、そんな投げやりな言い方をするのを、ヒューズは初めて聞いた。
「スマン、命令なんかじゃない。悪かったな、こっちの手の内も明かさないで色々聞いちまって。実は俺の捜してるって青年は、東方で、軍絡みの事件に巻き込んでケガさせた相手らしいんだ。傷が完全に治らないままセントラルへ向かったらしくてな。ロイが――マスタング中佐が――心配して、捜してくれって連絡してきたんだが、これがまた情報が少なくてな。しかもそいつ、耳が不自由らしくて、いっそうロイが心配しててだな……」
 のケガの状態はもうかなりいいというのは、ロイから聞いていたのだが、そのあたりを誇張して言ったのはわざとだった。さらに耳が聞こえないことも付け足せば、アームストロング少佐の人情に訴えかけることができ、ヒューズの欲しい答えが得られるのではないかという。秘められていることを知るためには、無理矢理ではなく、それを喋りやすい状況を作ることが、遠回りに見えてもっとも近い方法なのだ。
「それは……その青年はおそらく、彼女の弟かと。彼女は、弟の耳を治すために国家錬金術師になって研究したいと言っていましたから」
「そうか……じゃあその青年は、いなくなった姉を捜しに、ケガを負った身体を押してセントラルへ来たのかもしれないな……」
 ヒューズの言葉に、アームストロング少佐の巨体がピクリと揺れた。
(もう一押し、か――?)
 そのとき、口を開きかけたヒューズと、静かに俯いていたアームストロングの身体は反応した。微かに聞こえたそれは、異変を告げる聞き間違えようのない音――銃声だったからだ。


 もこの国で生きる者として、銃の扱い方を学んだことはある。けれどにとって銃は、簡単に人の命を奪える道具でしかなかった。身を守る武器になると解っていてもそれを持つことはしなかったし、身近に置いておきたくもなかった。
 けれどがそんなふうに考えていることを兵士が知るはずもなく。
 には当たり前の、胸のポケットから手帳を取り出すという仕草が、銃を取り出そうと誤解されるものだと気づくはずもなく。
 そのとき、はポケットに入れた自分の手に視線を向けていたから、兵士の動きを見ることはなかった。次の瞬間、パァンと周囲に鳴り響いた乾いた銃声も聞くことはできなかった。
 けれどその風は、鋭く熱く、の頬を掠めた。
 ゆっくりと顔を上げたの目に入ったのは、その煙の出ている銃口と、それを押し上げている銀色のサーベル――――
 自分が撃たれたのだと、サーベルの切先が銃の方向を変えていなければ、当たって死んでいたのかもしれなかったのだと、ようやくは現状を理解した。理解したと同時に身体が震え、力が抜けていく。
 が手にしていたメモ帳がその手から落ち、はその場にガックリと膝をついた。
 大総統が腰へとサーベルを戻し、のほうへ一歩近づくと、そのメモ帳を拾い上げてページを捲った。
「ふむ。よかったな、きみ。一般人の誤射により営倉入りにならずにすんだぞ」
 大総統はノートのいちばん最初のページをその兵士に見せる。そこに書かれていた『わたしは耳が聞こえません』という文字に、固まっていたままの兵士の腕からも力が抜け、銃が地へ下ろされる。
「すまなかったね、きみ――」
 大総統は、しゃがみ込んだままのに近づいて手を差し伸べた。震えを止めでもするように、その肩にしっかりと手を置く。一瞬、ビクリと細い身体を震わせたは、恐る恐る顔を上げた。
くんというのか? 立てるかね?」
 ノートに書かれていた名前を素早く読み取ったのだろう――大総統はの名前を呼んだ。がコクリと頷くと、肩に置いていた手を外し、掴まることができるように差し出した。その手を取り、は立ち上がった。
「大丈夫か? どこか怪我をしたところは――ん、紙に書かないと解らないか?」
 は首を振って、くちびるが読めることを伝えようとしたが、大総統がメモ帳を返してきたので、そこに素早く『大丈夫です。すみません』と記入した。
「いや、こちらこそ、怖い思いをさせてすまなかったね――」
「大総統、ご無事ですか!」
 大総統の言葉を遮ったその声はには聞こえなかったけれど、大総統がそちらを向いたことで、も自然と同じ方向を見た。
 その、瞬間。
 は、先ほどの恐怖も忘れて駆け出していた。


 野生の勘と言ったら失礼か――建物を飛び出したアームストロング少佐は微かな銃声だけで、その騒ぎの大体の方向が掴めていたらしく、走り出していた。ヒューズも、その後を追う。数人の兵士が集まる、辿り着いた騒ぎの中心にいた人物を見て、アームストロング少佐が叫んでいた。
「大総統、ご無事ですか!」
 遅れて追いついたヒューズがその先を見ると、大総統とその隣に立つ金髪の青年――背後に、銃を降ろしたまま呆然と立っている兵士の姿がった。少佐の声に、大総統がこちらを向くと、つられるように青年もこちらに顔を向けた。
 その一瞬、彼の目が捉えたものを確認するように見開かれた。
 次の瞬間、その細い身体はこちらへ向かって駆け出した。そしてそのまま――彼はアームストロング少佐の胸に飛び込んでいた。
「…………」
 少佐が、自分の胸よりも少し下の位置にある金色の髪を見つめながら呟いた言葉は、小さすぎて誰にも聞こえなかっただろう。けれどヒューズには解った。それが先ほど見た書類の女性の名前であったことに。なぜなら、髪は短いし、男性と女性との違いはあったけれど、その金髪の青年は写真の女性にそっくりだったからだ。
(お捜しのものを見つけたぜ、ロイ)
 まるで壊れ物にどうやって触ったらいいのか解らないといったふうにその豪腕をさ迷わせているアームストロング少佐を見つめながら、ヒューズはニヤリと笑った。