第九話  一瞬の狂気と沈む思い出が交差する




「ヒューズ少佐! 裁判所に提出の書類は――」
「あ――できてるって! これこれ! 悪い、持ってってくれ」
  軍法会議所に配属されてまだ一ヶ月。ようやく慣れてきた仕事を慌しくヒューズはこなしていた。
「こちらですね。確かに。あ、こちらは――?」
 下士官が示したのは、受け取ったものの三倍はありそうな書類の束の入った封筒である。
「あー、いやいや、これは違う。じゃ、ソレ頼むな」
 書類を受け取った下士官が出て行って一息つくと、ヒューズは分厚い封筒をひと睨みした。
という人物について調べて欲しい。家族構成、出身地――なんでもいい』
 一週間前のことだ――珍しくロイのほうから電話を掛けてきたと思ったら、いきなりそんなことを言い出してきた。
『なんだよ、そいつがなにかやったのか?』
『違う――ただ、知りたいだけだ』
 問いかけたヒューズに、ロイはそう答えた。そんな理由ではいはいと引き受ける人間がいるかよと心のなかでは思っているのに、『名前以外に解っていることはないのか?』と尋ねている自分がいた。
 ロイが思いつくままといったふうにその特徴を上げていく。年齢は二十歳と本人は言っているがそれより若く見える外見だということ。家族はいない。髪は金髪、そして――耳が不自由だということ。セントラルへ向かう途中だったのを、事件に巻き込んでケガをさせたので保護しているということ。そのくらいだと言うロイに『期待はするなよ』とヒューズは答えて、珍しくヒューズのほうから電話を切ったのだった。
「そんなんで捜そうとする俺は偉いと思うぞ……」
 ヒューズがまずやったのは、住民登録台帳を調べることだった。セントラルへ向かう途中だというのなら、亡くなっているのかもしれないが家族や親戚がセントラルにいる可能性もある。けれど台帳には同じ姓の人物はいなかった。
 ただ、セントラルで住民登録している人間は、それなりに所得のある家柄の正しい者たちだけで、その数は住民全体の1/3にも満たないのが現実だ。戦争で生まれた孤児達のなかには、自分の名前を覚えていない者もいる。
「こんな世の中、変えなくちゃいけないよな……」
 イシュヴァールの殲滅戦に、ヒューズも参加した。上から命令があればその通りに実行しなければならないのが軍人だとはいえ、辛い任務だった。その後ヒューズは後方支援の道を選び、ロイは――矢面に立ち続けることを選んだ。そのロイが珍しく頼んできたのだ。どんなに困難なことでもやれるだけやる――いや、やってやりたいとヒューズは思う。
 けれどセントラルに勤務しながらできることは限られている。セントラルシティ以外の住民台帳はここでは閲覧することができない。なので次にヒューズがしたことは、軍関係者の名簿から同じ姓を持つ人間を捜すことだった。軍関係者の名簿なら、セントラル以外の地域のものも、かなり過去まで閲覧することができる。軍事国家であるこの国では、親戚のひとりくらいは軍に入隊していてもおかしくはない。
 ようやくヒューズは姓の人物を南方にふたりほど見つけたが、ひとりは二十年前に独身のまま死亡、もうひとりは士官学校出たてで東方に派遣されていたが、一人息子で兄弟はいない――上に赤毛だった。
 溜まったのは×印のついた書類だけで、一週間かかってもなにひとつ解らず、ロイに報告できずにいたのだが、再びロイから電話がかかってきたのは昨晩遅くのことだった。
が……がセントラルへ向かったんだ――見つけて欲しい』
『はぁ?』
 これまた唐突なロイの言葉に、ヒューズは髪をかきむしった。
 もともとその青年がセントラルへ向かう途中に、ケガをさせて保護しているといっていたのだから、ケガが治れば出て行くのは当然のことじゃないのだろうか。ヒューズにはロイの考えが読めなかった。
『わたしがもう一度会って話がしたいと思っていることを伝えて欲しい――どうしても、会いたいんだ』
『ロイ。お前さん一体――』
 ロイがなにを考えているのか理解できない。その青年となにがあったのか――そう相手が女性ならまだ解るが――その考えに、ヒューズは黙り込む。
『解った、解った! 調べるよ!』
 ヒューズは電話越しのロイにそう叫んだ。そうでも答えないと、まるでセントラルにまで来かねない空気が漂っていたのだ。
(おいおい、あのロイ・マスタングが男に――? ありえないだろ?)
 自分の考えを打ち消して、ヒューズは新たになんでもいいから追加の情報はないのかと聞いた。すると、彼には国家資格を所持していてもおかしくないくらいの錬金術師の知り合いがいるらしいこと、そして耳について書かれたカルテを持っていたから、病院で検査を受けている可能性もあるということ。ただ――そのカルテを書いた人物と、錬金術師は同じ人物で――女性だと思われること、という言葉が返ってきた。
『医療関係と、病院、錬金術師のリストも捜してみる』
 そう約束して昨晩の電話は終わらせたのだから、まず軍病院のリストと一般病院のリストをチェックしなければならない。セントラルの一般病院の分なら、登録されている医者の名簿くらいはあったはずだ。ただし、ここではなく中央司令部にだが。
 中央司令部の近くにある大総統府のなかには国家錬金術師の機関もあるから、そこで国家錬金術師のリストも覗けるだろう。
 面倒なのは、軍法会議所から中央司令部までは少しだが距離があるということだった。
「昼休み中に帰って来るのは無理かもなぁ……」
 呟いて、ヒューズは軍用車を拝借すべく、キーを取った。
 車を飛ばして中央司令部の資料室へ行き、医者と病院のリストをコピーする。ついでに市内のホテルの住所と電話番号を調べた。片っ端から電話して、耳の不自由な青年が泊まっていないか聞いてみるのもひとつの手だろう。名前は偽名を使うことができても、その身体的な特徴を誤魔化すことはできないはずだから。
(問題は、認可されているホテルの分しかリストがないってことか……)
 これ以外にも無認可に営業しているホテルもある。そっちは流石に調べようがない。それに、認可されているホテルのリストでさえ、かなりあるのだ。軽くため息をついて、書類を抱るとヒューズは歩き出した。先にホテルのチェックをするか、それとも国家錬金術師のリストを調べるか――考えに捕らわれていたヒューズは通路を曲がった先にいた人物にぶつかってしまった。手にしていた書類が、その場に散らばる。
「うわっ!」
「申し訳ありません、ヒューズ少佐」
「いや、悪い。俺のほうがぼんやりしてた――アームストロング少佐か、久しぶりだな」
「そうですな。ヒューズ少佐は、お忙しそうで」
 言いながらアームストロング少佐は、その巨体を屈めてヒューズの落とした書類を拾い始めた。ヒューズもかなり散らばってしまった書類をただ見ているわけにもいかず一緒に拾い出す。
「まぁな、ちょっと厄介ごとを引き受けちまってな。それにしても、こういうとき錬金術でぱぱっと集めたりできたら助かるんだけどなー」
 ヒューズの軽口に怒ることなく、アームストロング少佐は「まったくですな」と答えながら、もくもくと拾ってくれていた。やがて集め終わった書類をアームストロング少佐がヒューズに渡すために近づいてくる。
「そうだ、少佐。って青年知らないか?」
 それは、何の気なしに出た言葉だった。アームストロング少佐は市中の警備に出ることもあるから耳に入れておいたほうがなにか情報が入るかもしれないとは思ったが、それもまったく期待してのことではなく。
「……、ですと?」
 アームストロング少佐のその巨体が、書類を差し出す手が止まっていた。
「知ってるのか?」
「い、いえ――」
「でも、って姓の人物は知ってるんだな?」
 アームストロング少佐の様子からそう判断して、ヒューズは問い返す。
「――ええ」
 普段とは違う、いくぶん歯切れの悪い調子で、アームストロング少佐は頷いた。
「教えてくれ!」
「わたしの知っていることが、お役に立つかどうか解りませんが」
「それでもいい! 役に立つかどうかは、知らなきゃ解らねぇだろ!」
 ヒューズの剣幕に押されるように、アームストロング少佐は頷いた。
「では、ついて来て下さい」
 身を翻し、歩き始めたその背中に、ヒューズはニヤリと笑っていた。なにかが進展しそうな予感を感じながら、ヒューズはその巨体を追って走り出した。


 ひとりイーストシティを後にしたは、その日の夜遅くにセントラルへと着いた。駅員に安宿を紹介してもらい、その晩はそこへ泊まることにする。
 軍から――かなり少なくて申し訳ないと言いながらロイが渡してきたのだが――見舞金として受け取ったお金もあったし、自分が持っていたお金も、ロイの家で世話になっていた間、ホテル代も食事代も出さずにすんだのだから、充分に残ってはいた。けれど、いつなにがあるか分からないので、無駄遣いはするべきではないのだ。
 硬いベッドしかない狭い部屋には、朝日も射しこまず、ここ数日とはまるで違う目覚めだったけれど、いつまでもないものをねだってはいけないのだと、は首を振った。
 とにかくこのペンダントを、写っている写真の人物に渡す――いまはそのことだけを考えよう。
 もしこれを見せて、いらないと言われたらそれまでだけれど、そうしたらこのペンダントはずっとが身に着けていればいいことなのだから。
 宿の主に、軍人を捜すにはどこにいけばいいのかと紙に書いて問うと、中心は大総統府だからそこへ行けばいいんじゃないのか、と教えてくれる。道も書いてくれた。
 辿り着いた大総統府はとても大きな建物だった。この国の中心なのだから当たり前といえば当たり前なのだろうが。高い塀で囲まれていて、中の様子をうかがい知ることはできない。立派な門が立つ入り口には銃を抱えた警備兵がズラリと立っているし、車での出入りをチェックしている兵士も複数いて、とても一般市民が近づいていい様子ではなかった。はしばらく出入りする車を遠くから見ていた。数台の車が、建物内へ入っていくのが見えたが、車の中がちゃんと見えるわけでもなく、この調子で人を捜すのは難しそうだった。
 時間だけがただ過ぎていき、太陽が天頂に昇っていく。ふと、は気づいた。この建物のなかに、いろんな機関も入っていると宿主は言っていた。ならば出入り口はここだけではないのかもしれない。どこかに、もっと通用口のような小さな入り口があるのではないか――そう判断して、は塀に沿って歩き出した。
 しばらく歩き続けてようやく、は車一台が通れるくらいの入り口を見つけた。銃を持った警備兵が立っていたが、二名だけだ。その兵士に尋ねたら、人を捜すにはどこへ問い合わせたらいいのか教えてくれるかもしれないし、なにより、ペンダントの写真を見せれば、の捜している人物が誰で、どこに行けば会えるのか教えてもらえるかもしれない。ようやく近づいたと思っていたは気づかなかった――いや、気づけなかった。背後から、軍人に「停まれ!」と命令されたことに。
 が遠巻きに内部の様子を伺いつつ、中に入る車をチェックしていたことで、正門にいた警備兵から不審人物と判断されてしまっていたのだ。そして壁沿いに歩き始めたの後を、警備兵のひとりがこっそりとつけていた。けれどそんなこととはまったく気づいていなかったし、背後から「停まれ」と命令されても、には聞こえない。けれど兵士は命令を無視したと判断してに銃を構えた。その様子に気づいた門の警備兵のふたりもへと銃を向ける。そこで初めて、は自分がただならぬ状況に置かれているのだと気づいて足を止めた。
 振り返ったと同時に、背後にいた兵士から眼前に銃口を突きつけられる。
「両手を上げろ! そのままゆっくり振り返って後ろの壁に両手を突くんだ!」
 は後ずさりながら違うという意味を込めて首を振った。
「早く両手を上げろ!」
 がおずおずと両の手を上げたときだった。黒塗りの車が停まり、後部座席からひとりの男性が降りてくる。
「なにをしているんだね?」
 軍服を隙なく身にまとい、その片目に眼帯をした男性がゆっくりと口をそう口を動かしたのが、の位置からも見て取れた。
「大総統! お下がりになっていてください、危険です――不審人物です!」
 兵士は一瞬背後を向いた視線をすぐにへと戻し、銃を構えなおす。
「どう見ても、善良な一般市民にしか見えないが――」
 眼帯の男性がそう言うのが見え――は気づいた。兵士が彼のことを『大総統』と呼んだことに。
(この方が大総統? きっとこの方なら解ってくれる――)
 は会話をするために、自分の胸ポケットにあるメモ帳を取り出そうと手を入れた。にとってそれはいつもの行為だったから、それが軍人にどんな印象を与えるかなんて思いもしなかった。
「貴様――!」
 鳴り響いた銃声も、の耳には聞こえなかった。