第一話 デアイ
「こいつですかね?」
原型を留めているとは言いがたい遺体を指差して、憲兵が言う。 運河にかかっていた橋は一夜にして瓦礫の山となり。上官に撤去作業を命じられたハボックは、その日も朝から現場で作業に勤しんでいた。 「ぐちゃみそでわかんねぇよ……」 原因は不明だがかなり大規模な爆発で、撤去が進むたびに身元不明の遺体が出てくる。出てきた順に番号をつけ、並べられたそれらを一体一体確認していく作業など、煙草でも吸わなければやっていられなかった。 (ったく……これだけ死んでりゃ、ヤツの死体見つけられたって素直に喜べねぇよな) やりきれない気持ちを紫煙とともに吐き出したハボックは、ふと聞こえてきた声のほうへと視線をやった。 「危険ですから、一般の方の立ち入りは――」 「いえ、ちょっとお伺いしたいことがあるだけで――」 立ち入りを禁止するために張られたロープ越しに、憲兵と一般人がなにやら揉めているようだ。憲兵の黒い制服の向こうに、明るい茶色の長い髪が揺れているのが見える。 「悪い、ちょっと行ってくるわ」 検分に付き合ってくれていた憲兵に指で示し、ハボックはふたりのもとへ向かった。 (ちょっとくらい生きている美人と話しさせてもらってもいいだろ) 身元不明の縁者を探しに来たのだろうと思いながらハボックが近づいていくと、相手もハボックに気づき、目が合った―――― (うわっ…!) 煙草を咥えていなければ、知らずにヒューッと口笛を吹いてしまったかもしれない。 年のころは二十二、三――いやもう少し上だろうか。肩よりも長い髪はクセのないまっすぐな茶色で、光を反射してサラサラと零れるように揺れている。深い蒼色の瞳は透けるような白い肌と相まって、吸い込まれそうだ。人形のように整った顔立ちからすこし冷たそうな印象を受けるが、文句なしに“スラリとした美人”だった。もっとも、スタイルのほうはロングコートを着ているからはっきりと見えたわけではなかったのだが。 「なにか――」 お困りですか、お嬢さんと――と精一杯のキリリとした表情で問いかけようとしたハボックの台詞は、肝心の相手によって遮られた。 「東方司令部の方ですか? こちらにマスタング大佐はいらっしゃいますか――?」 (クソーッ! いい女はみんな大佐のお手つきかよーッ!) これをきっかけに彼女と食事に……などということがあるわけないと思いつつもしっかりと考えていたハボックの夢は一瞬にして打ち砕かれた。 「あー、大佐なら、ヒトに肉体労働を押し付けて司令部でふんぞり返ってますよ」 ガックリ落ち込んだハボックは少々投げやりにそう答えた。上官への悪口とも取られかねないが、『あの無能大佐なら』と口にしなかっただけでも自分を褒めたいくらいだ。 「じゃあご無事なんですね、よかった……」 ハボックの言葉に、彼女は緊張が解けたとでもいうようにほっとした笑みを見せた。ハボックは手にしていた煙草を落としたことも気づかず、その表情に見惚れてしまった。冷たく、少々きつそうにも見えたその顔が、浮かべた微笑で一瞬にしてとても柔らかく可愛らしい印象に変わったのだ。 「お邪魔してすみませんでした。乗り継ぎでイーストシティに寄ったんですが、ここ数日爆破事件が続いて軍人が何人も亡くなってると聞いたもので心配になってしまって。あの方は強いですし、要領もいいですから、わたしが心配するようなことはないと思ったのですけれど、このところ悪天候で雨も続いていたと聞いて――」 (雨……ってことは、彼女、知ってる――?) ロイ・マスタングが焔の錬金術師であるのはそれなりに有名な話だ。街中の美人に片っ端から声をかけていれば、それを知っている相手もいるだろう。けれどどうやって焔を出すのかまでは、同じ軍のなかにいたって見たことのないヤツも大勢いる。ハボックとて、雨の日には火花が出せないという事実はつい先日知ったばかりなのだし。 (もっとも……口説き落とす手段として錬金術見せたりしてるかもしれないけどなー) だが彼女は乗り換えでイーストシティへ寄ったと言った――この街の人間ではない可能性が高い。つまり、大佐とはずっと以前からの知り合いであるという可能性が。 「ひょっとして……大佐のお知り合いの方ですか? 司令部までお送りしましょうか?」 煙草を落としていたことに気づき慌てて靴底でもみ消してから、姿勢を正し、ハボックは言った。彼女の口からこの会話が大佐に伝わって、職務中にナンパしてたなどと誤解されては困る。ただでさえ悪口めいた発言もしてしまっているのだから。 「いえ――ご挨拶したいのは山々なんですが、このあとの列車の時間も調べていませんし、それにわたしが心配して会いに来たなんて知られると……」 言葉を切った彼女は、人差し指を自分の眉間に押し当ててそこに皺を作る。 「“キミに心配してもらわなきゃいけないほど弱くはないんだがね”って怒られてしまいそうです」 「プッ――あははははっ」 思わずハボックは大声で笑い出してしまった。彼女は、ハボックを笑わせられたことに満足しつつも、似ていないモノマネを披露したことに照れているような笑みを浮かべていた。 なんということだろう――人形のようなクールな美人から、一瞬にして可愛いヒトに変わったと思えば、今度は明るくて気さくな女性へと変わる。惹きつけられるというのはこういうことかとハボックは実感していた。 (大佐の知り合いじゃなければなぁ……) でも結局はそこへ落ち着くのだ。惹かれているのは解っていても、どうすることもできない。 「あの――いまのは、大佐には内緒にしてくださいね」 真っ白な頬に薄い朱を浮かべて、彼女が言う。その蒼い瞳には相変わらず吸い込まれてしまいそうだ。 「ああ――じゃ、お名前だけでも。伝えときますよ」 こんなに気負わずに女性に名前を聞けたのは初めてだったが、無理だと解っているからかもしれない。 「です――・。では失礼しますね。お邪魔してしまってすみませんでした」 彼女が深々と頭を下げると、明るい色の髪がサラサラと零れた。 「あ、いや……」 もっと話をしてみたかったが、引き止められるほどの理由を思いつけるはずもなく、石畳の道に軽やかな靴音を響かせて去っていく背中を見送ることしかハボックにはできなかった。 撤去作業に戻るしかなかったハボックは、やがて日が陰ってきたあたりですべての作業を中断させた。作業の進み具合と、いまだスカーらしい死体は見つけられていないことを報告するために、東方司令部へと向かう。ロイの執務室で顔を会わせたとき、彼女のモノマネを思い出して再び噴出しそうになったが、なんとか堪えた。 変わり映えのしない報告を聞き終えたロイの眉間に皺が寄っている。顔がニヤついてしまうのはもうどうしようもなかった。 「なんだ?」 ますます不機嫌そうに皺を増やしたロイに睨みつけられる。 「いえ、大佐は無事かって尋ねてきた人がいましたよ。・って女性で――大層な美人でしたね。司令部まで送りましょうかって言ったんですけど、列車の時間があるからって帰っちゃいましたよ」 「……?」 訝しそうに、ロイはその名前を繰り返した。女性に関しては素晴らしい記憶力を誇っているはずなのに、あれほどの美人を覚えていないのだろうか。 「明るい茶のまっすぐな髪がこのくらいまであって――」 ハボックは忘れることなどできそうにない彼女の姿を思い浮かべながら、自分の胸のあたりを手で示す。 「で、瞳が蒼くて、最初はちょっと冷たいかなって雰囲気でしたけど、それが……」 最後まで説明し終える前に、座っていたロイがデスクの下のほうの引き出しを開けて、なにやらごそごそと探っていた。身体を起したロイの手には、一枚の写真が握られている。 「こいつか?」 ハボックは差し出された写真を受け取って眺める。そこに写っていたのは、ロイとヒューズ、そしてその間にいるすこし背の低い人物――髪は短いが、その蒼い瞳といい、確かに彼女だった。何年前の写真なのかは解らないが、ふたりの間で嬉しそうに笑っている彼女は、とても可愛らしく幼く見える。 「ええ、そうです。一見すると冷たそうなのに、笑うとやっぱ可愛いですよね――って、軍人だったんですか!?」 いまさらながらハボックはその写真に写っている人物たちが全員同じ青い軍服を着ているのに気づき、声を上げた。 「だった――じゃない、現役だ」 「だって……軍服着てなかったですよ!」 彼女が着ていたのはベージュのロングコートに、黒のパンツだった。皮のブーツに小さなトランクと、旅行者のようなスタイルだったのだが。 「お前は休暇中にも軍服を着ているのか?」 ロイはハボックに呆れたような一瞥をくれると、くるりと椅子を回して立ち上がる。 「あ、そうか――」 そんな当然のことも思いつけないなんて、なんともマヌケな話だ。言われてみればロイのことも階級で呼んでいたのだから、それに気づいても良さそうなはずだったのに。 それくらい彼女と軍人という職業が結びつかないのだ。こうして軍服を着ている写真を目の当たりにしても――軍服が似合っていないという意味ではなく――違和感がある。彼女のようなヒトが、軍人という職業を選ぶなんて。 マジマジと見つめていた写真は、立ち上がってハボックの横まで来ていたロイの手によって引き抜かれてしまった。 「あ――」 彼女の笑顔を突然ひったくられて少々不満を覚えたが、もともとハボックのものではないのだから、仕方がない。ロイは机に寄りかかりながらその写真を見つめると、再び顔を上げてニヤリと笑った。 「それと、ハボック少尉――ひとつ勘違いしているようだから言っておこう。彼の地位は少佐、そして国家錬金術師だ」 「え……? あの人も国家錬金術師――って、ちょっと待ってくださいよ、大佐…っ!」 ハボックは信じられない事実に、声を裏返らせて叫んだ。 「か、彼――っ!?」 「そう――彼、だ。わたしの知らない間に性転換でもしたんでなければな」 新しいからかいのネタを発見して嬉しそうに笑う上官への不安よりも、理想だと思った女性が男だった――しかもそれにまったく気づけなかった事実に、ハボックはがっくりと膝をついたのだった。 |