第六話 ハカイ




 セントラル行きの切符は無事手配できたが、発車時刻まではまだ少し時間があった。
 どこかで休もうかとも思ったのだが、は駅の近くにある店を見てまわることにした。
 久しぶりにかなりの深酒をし、睡眠時間も短かったはずだか、思ったほど身体は辛くない。それどころか、とても満たされていた。
(一日遅くなってしまったけれど、エリシアちゃんに、なにか……)
 本当なら昨日中にセントラルへ戻って、誕生祝の席へ顔を出すつもりだった。
 あのまま――乗り換えの列車にちゃんと乗っていれば、セントラルでプレゼントを買う時間も充分にあったのだ。
(なのに、わたしは……ロイさんの、せいにして――)
 爆破騒ぎのことを聞いて、ロイのことを心配した気持ちに嘘はない。けれど、ロイの強さはも知っているのだから、わざわざ会いに行く必要まではなかったはずだ。それこそ、東方司令部に電話の一本でも入れればすむことなのだから。
 それを解っていて、列車に乗らなかったのは。
(乗れ、なかった……)
 半年振りにヒューズに会えるのだ。会いたくなかったわけではない。母が亡くなって独りになってしまったいま、むしろ会いたくてたまらなかった。
 けれどヒューズは、愛するひとり娘の誕生日に、その喜びを隠そうとはしないだろう。
 可愛い娘と、その娘を与えてくれた大事な妻に向けられる幸せそうな笑顔――はそれを、間近で見るのが怖かった。それを見てしまったら、自分が本当に独りきりなのだと思い知らされるようで。
(――怖かった)
 けれど、いまは違う。
『辛かったんだな、ずっと……』
 昨日あったばかりだというのに、の話を聞いてくれ、そう言ってくれたハボック。彼と出会えたのはが軍人に、それも錬金術師になっていたおかげだ。
 ロイとの出会いも、ヒューズが作ってくれたものだ。
 ヒューズに出会わなければ、いまのはなかった。
 ヒューズが傍にいなくても、の人生はヒューズによって支えられている――それに、気づけた。
(もう、迷わない――)
 は、決して独りではないのだから。
 店に入って目に付いたのは、やはりぬいぐるみの棚だった。
(きっと大きなものはマースが買っているだろうから、わたしは、エリシアちゃんの小さな手で掴めるくらいのものを……)
 見回して、が手に取ったのは、小さなキツネのぬいぐるみだった。
(この毛色、ジャンに似てる……)
 そっと撫でてみたぬいぐるみの、その手触りは決して悪くはないのだが、ハボックの髪とはやはり違う。
 昨晩は、何時まで飲んでいたのか、も覚えていない。
 閉店だと店主に告げられたときには、もうかなりの量を飲み干していたのは事実だが。
「ウチ行きましょうよ、ウチー! 泊まってってくださーい」
 そう言うハボックを支えながら、なんとか彼が示す部屋まで歩いた。そのまま、ふたりでベッドに倒れこんで。
 自分の襟元だけはなんとか緩めた。ハボックも――と思い手を伸ばしたのだけれど、もすでに限界だったらしい。
 伸ばしたの手が触れたのは、日向のようなハボックの髪で。その感触が気持ちいいと思いながら、も深い眠りのなかに落ちていった。
(ジャンの髪のほうが、気持ちよかったな)
 ついそんなことを考えながら、何度もそのぬいぐるみを撫でていた自分に気づき、は赤面する。
「あ、あの――これ、ください。プ、プレゼントで」
 慌ててはそのぬいぐるみを購入し、駅へと戻ったのだった。


 その日、天候は穏やかで、遅滞もなく列車はセントラルへ到着した。
 夕刻の、中途半端な時間帯ではあったが、はそのまま大総統府へ向かった。
 母が病に倒れたという連絡が入ったとき、は迷った。いつ帰れるか解らないままでの休暇申請などできるはずはない。軍を辞め、国家錬金術師の銘も返上するしかないと思った。ヒューズの傍にいられなくなるが、いっそそのほうがいいのかもしれないと思い、大総統に面会に行ったのだ。
 けれど大総統は特例として、の長期休暇を認めてくれた。国家資格もそのままに、研究費用を減額されることもなかった。
 今日戻ることは、イーストシティからの汽車に乗る前に、中央司令部に電話で連絡を入れていて、軍務の復帰は明日からということになっているのだが、大総統府にある国家錬金術師機関へ顔を出し、戻ってきたことを直接報告するつもりだった。
 もちろん、多忙な大総統になんの約束もなく会えるはずはないので、大総統への謝辞は改めて、いまは伝言という形で秘書に預けて、帰るつもりだったのだが。
少佐、大総統がお会いになるそうです。控えの間で少々お待ちください」
「そんな…、大総統はお忙しいのに、わたしのために、お時間を取らせては――」
 驚いて辞そうとしたに、秘書が笑って告げる。
少佐がそう言って帰らないよう、引き止めておくように仰ってましたよ。大総統もお会いしたいそうですから、お待ちいただけますね」
「はい……光栄です」
 控えの間に通されたが、大総統の応接室に通されたのは、やはり少し待たされた後ではあったが。
「戻ってきたか、少佐」
 現れた大総統に、は敬礼したあと、深々と頭を下げた。
「閣下――お忙しいのにお時間をいただき、申し訳ございません。これまでの長きにわたる休暇をお許しいただきまして、ありがとうございました。、明日より軍務に復帰させていただきます」
「顔を上げなさい、。少し……痩せたか」
「そう、でしょうか。自分では、よく解りませんが」
 の前に立った大総統は、そっとの肩に手を置いた。
「辛いだろうが、食事はきちんととりなさい。軍務に支障がでては困る――というのは建前で、きみの身体が心配だよ」
「ありがとうございます、心がけます」
 大総統の優しい言葉に、の瞳に自然と涙が浮かんでくる。
 は父という存在がどういうものなのか知らない。これからも知ることはないだろう。
 けれど恐れ多くも、父親というのは大総統のような存在ではないかと、は思うのだ。
「君も、大事な人柱候補なのでね……」
 感慨に浸っていたは、大総統がなにやら呟いたのは聞こえたが、その内容までは解らなかった。
「あの……」
「ん? きみは大事な存在だと言ったのだよ。軍にとってだけでなく、わたしにとってもね」
 感激のあまり何も言えなくなってしまったの背中に、大総統は微笑みながら腕を回した。
「さぁ、少佐。茶でもどうだ。遠慮はいらんよ。わたしも少し休憩したいところだったのでね」
 促されるままに、は大総統の向いに腰を下ろし、穏やかな時間を過ごしたのだった。
 やがて「お時間です」と呼びに来た秘書官と一緒に大総統が出て行くのを見送り、は大総統府を辞した。
 予定では、ヒューズの家へ挨拶に行き、エリシアへのプレゼントを渡そうと思っていたのだが、睡眠不足に長旅、そして大総統に会った緊張とで、の疲労はピークに達していた。
(明日――勤務が終わったら、軍法会議所へ行こう)
 そして帰宅するヒューズに同行させてもらえばいい。
 は軍の宿泊施設に予約を入れると、軽く食事を取ったあと、早々に眠りについた。
 次の日、半年ぶりに司令部へと出勤したは、挨拶回りと報告書に目を通すだけの簡単な仕事だけで、定刻通りに帰宅を許された。けれどまっすぐ宿泊施設に戻ることなく、軍法会議所へ向かう。
「フォッカー大尉、お久しぶりです」
 見知った顔を見つけ、は声をかけた。
「ヒューズ中佐は、まだいらっしゃいますか?」
「ええ。さっきまでここで新聞を読んでいたんですがね。調べ物があるとかで、急に書庫へ行かれましたよ。よかったらご一緒に、お茶でもいかがです?」
 手にしていたカップを軽く掲げたフォッカー大尉は、「シェスカ、きみも休憩しなさい」と眼鏡をかけた女の子に声をかけた。
 シェスカと呼ばれた彼女は「はい!」と立ち上がると「お茶か、コーヒー、どちらがよろしいですか?」とに尋ねてくる。
「では、コーヒーをお願いします」
 は答えて、大尉に勧められるままに、椅子に座り、シェスカの入れてくれたコーヒーに口をつけた。
「遅い、ですね……」
 がそう呟いて時計を見ると、この部屋に来てからすでに三十分が経過していた。
「夢中になってるんじゃないですかー」
 シェスカの言葉に、邪魔をしてはいけないという思いも浮かんだが、それならば日を改めたほうがいいだろうとは結論づけた。
「ではちょっと、挨拶だけして帰ります」
 書庫の場所を教えてもらい、は立ち上がる。
 人気のない静かな通路に、なにかの違和感を覚えないでもなかったが、見慣れない場所に来ているせいだろうと思いながら、は書庫を目指した。
 たどりついたその部屋の扉は、開かれたままだった。
「中佐――いらっしゃいますか? ……マース?」
 灯りのない、静かな空間を不思議に思いながら、は声をかけながら、室内へと足を踏み入れた。
「――――ッ!」
 そこでが見たものは、荒らされた室内と血痕、そして――血のついた、見覚えのある小刀。
(これは――マースの!)
 ベルトや袖に隠してある、ヒューズの非常用の武器だ。これを使ったということは、ヒューズがこれを使わなければならないほどの事態、つまり命の危機に晒されたということ。
 そして、そのヒューズの姿がないということは、いまもその相手と戦っている可能性は高い――どちらのものかわからない血痕はまだ紅く、変色すらしていないのだから。
「誰か! 誰かっ!」
 は部屋に駆け戻り、叫ぶ。
「侵入者です! 敵です! ヒューズ中佐が応戦中です!」
「なんですって――」
 フォッカー大尉の手から、片付けようとしていたカップが滑り落ち、割れる。
「お願い――いえ、命令します! すべての責任はこのわたし、が取ります! ですから、早く! 早くヒューズ中佐を捜してください!」