えーっと。
オレ、は、いまどこにいるんでしたっけ? オレの部屋じゃないけど見たことある部屋……そうだ芦原の部屋だ。 で、右手には携帯電話。これもオレのじゃない。そう、芦原のだ。 芦原の携帯で、オレは誰と話していたんだっけ……? 携帯を耳から離してディスプレイを見る。そこに名前が表示されているわけではなく、秒数が刻々と増えていくだけの表示だったけれど――思い出した。 『もしかして……芦原さんの好きな人って、さんだったんですか?』 右手の親指がボタンを押すと、ピッと軽い機械音が鳴って、ディスプレイが変な写真に変わる。なんだコレ? 魚か? 「〜。どうだった?」 声がして顔を上げると、不安そうに覗き込んでくる芦原の顔。 「どうって?」 「え? だから冴木くん」 「あ――」 「なに?」 オレは携帯を芦原に掲げて呟いた。 「……切っちゃった」 [all or nothing 4] 「……どうして?」 「いや〜、無意識に。というか、反射的に?」 「……だから、どうして? 冴木くん、なに言ってたの?」 「なにって、それは――」 『もしかして……芦原さんの好きな人って、さんだったんですか?』 どこをどう考えたら、そんなことになるんだ? そもそも、あのときオレたちはなんの話をしていたんだっけ……? オレが芦原の電話にでて。芦原が出たくないと言って。それを伝えて。それだけだ。どうしてたったそれだけで、そんな発想ができるんだ? 「芦原」 オレは芦原に向き直った。 「なに?」 「どうしよう、冴木がおかしい」 オレの言葉に、芦原は目を丸くしたけれど、すぐに真顔になって答えた。 「冴木くん、なにを言ってきたの?」 答えたく、ない。自分の口からは言いにくい。けれど言わなきゃ始まらないのも解っている。冴木がオレの名を口にした以上、オレもまったくの無関係を通せなくなってしまったからだ。 「冴木が……」 「うん」 「お前の好きな相手は、オレかって」 「はぁ? なに、それ?」 芦原も驚いている。そうだろう、そうだよな。 「だからオレも聞きたいんだよ」 「でもが切っちゃったんでしょ、電話?」 「だって……まさか……んなこと言うなんて思わなくて……ああ、もう!」 オレは芦原に投げるように携帯を返して、自分のを漁った。 「掛けなおして問い詰める」 自分の携帯電話に登録された名前を検索するオレを、芦原がなにも言わずにニヤニヤ眺めている。畜生! 結局は芦原の思惑通りに動かされてるよ。でも、オレの名前を出された以上、傍観してたらオレの気もすまない。このムシャクシャは冴木に責任とってもらおうじゃないか。 選び出した名前に、電話を掛ける。ワンコールで、冴木は出た。 『さん!?』 「ん」 偉そうになってしまうのはこの際仕方ない。地だしな。 「悪い。あまりに理解不能な言葉を言われたんで、反射的に防衛行動をとった」 『え? あ、あの……』 明らかに戸惑っている冴木を無視してオレは続ける。 「で、冴木」 『は、はい…?』 「お前は冴木光二だな?」 『え? は? あの……そうですが』 「オレはで、オレの目の前には芦原弘幸がいる、と」 『は? え、あの……、さん?』 「オレは芦原に呼ばれていま芦原の部屋に来てるんだが、さて冴木光二。お前はなんで芦原に電話してきたんだ?」 とりあえず状況を整理することから始めるのだ。 『なんでって……その、芦原さんから、全部聞いてるんじゃないんですか? だからさん、そこにいるんでしょう?』 だから、その“だから”になるのが分からないんだってーの! 「芦原に聞いたのは――酔っ払ってお前が芦原に…キスして、芦原がお前を殴って逃げたってことだけ」 サラリと、言ったつもりだったが少しどもってしまった。まぁ、いいか。 『……芦原さんが、そう言ったんですか?』 「それ以外に聞かされる相手はいないと思うが」 『……そうですね』 冴木が黙ってしまう。なんだ……? 間違っているのか? 問いただそうとしたオレの耳に冴木の呟きが聞こえてきた。 『……そういうことに、すればいいんですよね』 「おい!」 思わずオレは叫んでいた。 「どういうことだよ、ソレ! 勝手に考えて自己完結するの、お前の悪い癖だぞ、冴木! なにか言いたいことがあるならはっきり言え!」 『はっきりって……いまさら言ってもどうしようもな――』 「冴木! オレを怒らせたいのか?」 『さん……』 オレの低い声に冴木は驚いたようで、ようやく静かになった。けれどやっぱりこのままじゃ埒が明かない。冴木の性格はある程度知っていたけれど、喋らせるのは芦原以上にてこずりそうだ。オレがその場にいたわけではないからお互いの主観が入った話からでは把握しにくいし、正直、知りたい事柄でもない。オレの名前さえ出なければ、オレには関係のないことだし。 オレは口調を明るく変えて、冴木に告げた。 「――と、まぁ、オレには言いにくいことかもしれないしな。お前が言いたいヤツに直接言え。おい芦原――」 目の前にいる芦原に受話器を渡そうとした――はずなのに、芦原の姿がない。 「芦原?」 見ればヤツは台所に立っていて……アイス食べてるぞ、ひとりで。芦原のヤツ――自分にふられること予想して逃げやがった。 「……冴木」 『……はい』 「聞いてみたいことがあって、だな。答えたくなければ答えなくていいぞ」 『はい』 「お前――芦原のこと、好きなのか?」 沈黙されるのは予想範囲だったが……意外と短い時間で返事は来た。当然のように、小さくて聞き取りにくかったけれど。 『――はい』 「芦原に言ったの、ソレ?」 今度の質問にはすぐに答えが返ってくる。 『ええ』 「いつ?」 『……キスする、直前です』 この答えにはオレのほうが携帯電話を取り落としそうになった。なんという新事実発覚! 好きですと告白してキスしたのか! どう考えてもこれは冗談で済ませられることではないってことか。 ……ちょっと待てよ。芦原はなんて言ってた? (――冴木くんがなんか言ってたみたいなんだけど、うん、うんって、適当に相づちうってたら、そしたらいつのまにか目の前に、冴木くんの顔があって――) 芦原がオレに嘘をついてもなんのメリットもない。すなわちこれはホントのことってことで――芦原はホントに覚えてないんだ。これってこれってその、つまり状況が解っているのはオレだけってことで、オレがどう動くかで、ホントにこいつらの関係が変わってきちゃうんじゃないか〜! 『……、さん?』 困惑しきった声が、電話の向こうから聞こえてくる。嘆きたいのはこっちのほうだ。 『さんは、ほんとに、その芦原さんとは……』 わぁ! それ以上聞きたくないぞ! 「冴木」 オレは冴木の言葉を遮った。 「ここは芦原の部屋で、芦原はここにいる。オレは人の恋路に口を挟む気なんて毛頭ない。冴木――言っている意味解るな?」 冴木に答える隙すら与えずにオレは続けた。 「なんとかしたかったら――いまから自分でなんとかするんだな」 オレは今度こそ自分の意志で通話を終了させた。オレが誤解だと説明してやればすむことなのかもしれない。けれどこーゆーことは間にヒトが入るほど難しくなるってものだろう。それに……悪いがオレは、反対もしないけれど進んで認めたくもないというのが、正直な気持ちなのだ。それはどっちが幸せかを判断するのがオレじゃないからだ。 そんな片棒を担ぐのは親切でも友情でもないだろう。冴木に言ったことがすべて――なんとかしたかったら、なんとかしたいほうがすればいいのだ。 オレは携帯を鞄に戻し、立ち上がってキッチンへ向かう。 「芦原。これから冴木が来るかもしれないし――来ないかもしれないけど、いや、冴木のあの性格なら、来るな。だからあとはふたりでよく話し合って――」 芦原の手元に置かれていたグラスがふと目につき、オレは言葉を切る。グラスには茶色の液体が入っているが、あの色、あの氷の量からして、麦茶じゃない。 「芦原、お前いつの間に飲んで――」 「〜」 振り返った芦原の目元は紅く、ご機嫌そうな笑顔でオレにもたれかかってくる。おい、お前いつの間にそんなに飲んだんだ! 「おい、芦原! これから冴木が来るんだぞ。オレは帰るから、よくふたりで話し合って――」 「冴木くんなんかど〜でもいいよ〜だ。それより。帰っちゃヤダ〜」 言うなり、芦原は両腕をオレの肩にまわしてしっかりと抱きついてきた。重いだろー! 「芦原! おい、芦原ってば!」 言いたかないけど芦原のほうがほんの少し背が高いし、酔っ払いは力の加減してくれてないから、身をよじってみたけれど芦原の腕から抜け出せない。仕方ない。酔いがさめる、もしくは気が済むまで少しこうして――って、これから冴木来るんだよな? しかも呼んだのオレなんだよな? もしかしなくてもこれって非常にマズイ状況ってヤツなんじゃないだろうか…………? 「冴木、来るなー!」 芦原の腕のなかで、オレは叫ばずにはいられなかった。こんな時間だから小声でだったけれど。 |