きみのすがたをみつめてる(前編)
「まだ終わってなかったか。間に合わないかと思ったんだがな」
は関東大会の決勝戦が行われているコートを見つめている氷帝のレギュラー陣に近づくと、そう声を掛けた。 「サン――レッスン、終わったん?」 「ああ。いまは……4-1か」 は忍足の隣に立つと、目を細めてスコアボードを読み取った。 きょうレギュラー陣がこの決勝を見に行くことは、も忍足に誘われたので知っていたが、そうでなくともみなが見に行くだろうと解っていた。手塚と幸村というお互いの主軸を欠いた頂上決戦は、選手ではないにも興味深い。けれどは断った――きょうはフランス語のレッスンがあるからと。いまは、遅れた分と――そして将来のための分との勉強に時間を費やしている。 「最初のゲームは越前が取ったんだぜ。でもまぁ、真田の『風』が出て、あっという間にこの差なんだけど」 高いフェンスに器用に腰掛けながらコートを見ている岳人が、のほうをチラチラと振り返りながら教えてくれた。 「しかもいま、『火』まで出したんだぜ!」 岳人の声は興奮気味だったけれど、その理由はにも解る。 「ひとりの選手相手に、ふたつの技を?」 去年の全国大会――跡部を倒した真田の試合を、は見ることなく渡英したのだけれど、樺地の撮っていたビデオで、見ることができた。途中まで優位に試合を進めていたのは跡部のほうだった。けれど真田が『山』を出してから――跡部の攻撃は一切通用しなくなった。鉄壁と呼ばれるに相応しい真田のプレイは確かに見事だったけれど、は辛すぎて何度もテープを止めそうになった。あの場にいなくて良かったと、は心底思った。あの試合を終えてコートから戻ってきた跡部をどんな顔で迎えたらよいのか、あのときのには決して解らなかっただろうから。 だがその跡部相手にもひとつしか出さなかった――いや、ひとつで勝った真田が、この一年の越前相手にふたつも出しているなんて。 「容赦ねーな。手加減つーもんを知らねーのかよ、アイツは」 「ホンマ。一年相手にエゲツないわ」 宍戸の呟きに、忍足も同意する。 跡部はの前方にいて、その表情が見えたわけではないのだけれど、には跡部が笑ったのがその纏う空気で伝わってきた。 「バーカ、あれが王者の誇りだ」 (景吾――……) 自分がひとつの技に敗れたことを悔しく思うとか、そんなレベルの感情ではないのだ。 相手が誰であろうと、全力で、自分の力を見せつける――真田の戦い方を誰よりも理解している跡部は、あのコートに立ってものを観ているのだ。 (戦いたい――だろうに) 真田とも、越前とも。 こんなフェンスの外に立って外から試合を眺めているなんて、跡部には相応しくない。 (あのコートに立っているのが、どうして景吾じゃないんだろう……) この場では決して口にできることではない望みに、の胸は痛んだ。大会終了後に練習試合を申し込めば、両校とも受けてくれるかもしれないが、やはりそれは違う。常に限界を強いられる緊張感のなかで行われる真剣勝負とは。 そんな試合が、まさにいま目の前で行われている。真田のプレイはビデオでも、去年生でも見ているが、越前を見るのは関東大会の初戦と、これで二度目だ。まだ一年だということを侮る気はないけれど、力を見せつける真田にたじろぐことなく向かっていく越前の戦いぶりには、やはり感心する。とうとうゲームは5-5と越前が真田に追いついた。 「すごいな……」 思わず漏れたの呟きを忍足が拾う。 「越前?」 「ああ。越前もだし、その実力を認めている青学も」 きっと手塚も苦労したんだろうなと小声で付け足すと、忍足はその意味を正確に理解したらしい。忍足はチラリと跡部の背中へ視線をやると、笑って答えた。 「いくらウチが実力主義やゆうても、一年から正レギュ取れるほど、選手層も薄くはなかったしなぁ」 青学は氷帝ほど選手数はいなかったと思うが、きっと手塚も、一年のころからそれなりに実力があって、苦労したのではないかと思う――跡部と同じように。 「忍足――お前はわざと実力を出してなかっただろう?」 「あらら、バレてへんと思うてたけど」 「解らなかったよ、あのころはな」 二年前――新入部員のなかで、跡部だけがずば抜けて強くて、すぐに準レギュラーになった。そのころはまだ準レギュラーにも入れてはいなかったのだけれど、レギュラーの練習に呼ばれて付き合わされることは多く、自然と跡部のプレーを見ることができた。そしてコート外で、常にひとりでいる姿も。 もちろん跡部がそれを気にしている様子はなかったけれど、二年生や三年生の部員が、同学年のライバルではなく、跡部にだけライバル心――というより敵対心を向けていることと、そしてその人数の多さに、のほうが恐怖を覚えた。それはまるで、跡部をスケープゴートに、テニス部が一致団結しようとしているかのようにには見えたのだ。 同情だと言われれば、そうかもしれない。 けれどそれは跡部に対してというより、そんな部内の雰囲気を放っておくことができなかったのだと思う。だからといってレギュラーではないにできたことは少なく、同級生や下級生に積極的に声をかけて場を和ませたり、特に跡部を目の敵にする部員に対して、そのプレイを褒めることくらいだったのだけれど。 そうしているうちに――は、気づけは跡部の姿を捜すようになっていた。声をかけたりすることはほとんどなかったのだけれど、常に跡部を見ることが癖のようになっていた。 跡部はそんなの視線に気づいてはいなかっただろう。彼は周囲から向けられる敵愾心にすら、まるで揺らぐことなく、真っ直ぐに頂点だけを目指していたのだから。 (憧れた――好きに、なってた) ひとりで毅然としているその強い姿を見つめ続けているうちに、自然と、跡部に惹かれていく自分を自覚した。 それは決して、伝えることのできない思いだと解っていたはずなのに、抑えられなかった。それを承知で傍にいたはずなのに、結局耐え切れず逃げ出してしまった。 (でも、もう逃げないよ――景吾) も見ているなかで、コート上の越前が関東大会の優勝を決めた。 「やりやがった……」 跡部は呟くと、踵を返して歩き出した。その後に、樺地が続く。 「あらら。さん、行かへんの?」 振り返ることなく行ってしまう跡部と、忍足の横に立ったままのを見比べて、忍足が言う。 「いまはぼくが行っても役に立てないからな」 樺地がいる――だからいまは必要ない。きっと跡部はコートへ向かうだろう――この試合の熱気を冷ますために。 「忍足は? 打ちたくなっていないのか?」 「そりゃすぐにでも」 と忍足の会話を聞きとめて、岳人がフェンスから文字通り飛び降りる。 「んじゃ、行こうぜ侑士!」 「マジマジ? せんぱいもテニスするの? 俺、せんぱいとペア組むー。試合しよ?」 「慈郎、ぼくなんかと組んだら試合にならないよ」 「そうやな、実力からいって、サンと組むんは俺やな」 「だったら、俺と長太郎が相手してやろうじゃねーか」 とうとう穴戸まで会話に参戦してくる。どうやらやはりみな自分も試合がしたくて仕方ないらしい。 「サン、このあと時間ある? たまには身体動かすのに付きおうてや」 収まりのつかなくなったこの状況を、忍足がまとめた。 「少しだけだぞ」 は頷いて、レギュラー陣と学園のテニスコートへと向かったのだった。 |