「おい、ちょっとなんだよ、まったく……」
いきなり検討室の外の廊下へ立たされて、オレは不満気に呟いた。 「、楊海と喋った?」 なんだよ、いきなり? しかもその珍しく真剣な目は。 「挨拶した…程度だけど」 別になんの情報も漏らしたりしてないぞ。そもそも、持ってないし。 「日本語で?」 「日本語で」 「よかった〜。なんのためにお前呼んだのか分からなくなるところだったよ」 「オレはいまでも分からないが」 幾分怒った調子を込めて言ってるのに、倉田はなんの屈託もなく笑ってくれる。 「通訳。通訳して欲しいんだよ――こっそりな」 「はぁ?」 「だ〜か〜ら〜。俺は韓国語も中国語も分からないだろ〜? 安太善は中国語はできるみたいだけど、日本語は分からないみたいだし。でもな、楊海は韓国語も中国語も日本語も分かるんだよ」 「それで?」 「だからな、ヤツらがなにか俺に聞きとれないとわかって、重要な情報を韓国語とかで話してるかもしれないじゃないか。だからそーゆーの聞きつけて俺に教えて欲しいの」 「なかには通訳の人もいるみたいじゃないか…」 「通訳のやつらはシロウトだろ? 重要な情報が話されてたって、それが重要な情報かどうか判断できないって」 「それはそうかもしれないけど……」 「だから、お前が韓国語も中国語もできるってバレたら、まずいんだよ。バレてないんだよな?」 「日本語で話してただけだから、気づいてはいないと思うけど……でもオレ、韓国語は始めたばかりだし、北京語以外は分からないから、他の言葉で話されたらアウトだぞ」 「北京語?」 「だから、中国語にもいろいろあってだなぁ…」 「方言みたいなもんだろ。大丈夫、大丈夫」 大丈夫って、通訳するのはお前じゃないじゃないか。それに重要な情報って――いまから聞き取ったって、それを選手たちに聞かせられるわけじゃないんだから、なんの役にも立たないじゃないか。 「お前……分からない言葉で話されると自分だけ除け者にされてる気分になるからだろう?」 いかにもギクリと揺れた倉田の巨体が、全てを語っていた。 [a life less ordinary2] 「おい、対局始まるぞ」 扉を開けたのは当の楊海さんで。倉田だけでなくオレまでも一瞬ギクリとしちゃったじゃないか。 「お、始まるか!」 無理矢理、楊海さんを押しのけて倉田が入っていく。閉まりかけた扉を、再び開いてくれたのは楊海さんで。 「あ、どうも……すみません」 軽く目礼しながら入ろうとしたけれど――楊海さんの身体が邪魔で入れないのだ。もしかしなくても通センボされてる? まさか倉田が言ってたこと聞かれてた…? 「あの……関係者以外入っちゃダメってことですか? ならオレ帰りますから」 別に来たくて来たわけじゃないしねとあっさり踵を返したオレを、楊海さんは追いかけてきた。 「待って、くん!」 別にまだなんの情報も拾ってないんだから、そんなに怒らなくてもいいじゃないか。大体あれは倉田の冗談なんだって分かってくれたっていいだろうに。 「待って! ちょっと聞きたいことがあっただけなんだ」 そう言われたら足を止めるしかない。いちおう外国の高段者にあまり失礼な態度も取れないしね。 「なんですか?」 「くんさぁ、兄弟子って言ってたけど、倉田より年上なの?」 身構えたオレに、楊海さんは拍子抜けな質問をしてきた。それがなんだっていうのか。益々オレを惨めな気分にさせたいなら、仕方ないですが。 「年は、同じです。オレのほうが早く師匠についてたってだけで」 「えっと、いくつ?」 「…二十、三です」 楊海さんは黙ったままオレを見てる。ああ、そうでしょうとも、とても二十三には見えないって言いたいんでしょう。 「質問はそれだけですか? 帰っていいですか?」 「待って! あの…ごめん、気分悪くさせたなら謝るよ」 楊海さんはその身体を深く折って頭を下げた。あ、いやいや、そこまでしていただかなくても。 「あの、いいですから。気になさらないで下さい」 正直、言われ慣れてますしねと小声で付け足しながらと、オレは楊海さんの肩を押し戻すように触れた。と、思ったら。 「そう、よかった。じゃあ、なかで一緒に見よう」 なんかいつのまにか楊海さんの腕がオレの肩に回ってるんですが? その押されるままに、オレは検討室に入ることになってしまった。なんか、拉致られた気分だよ。 「おい、! なにやってんだよ。早く俺の横、横!」 倉田の言葉に感謝しつつ楊海さんの腕から抜け出して、隣に座った。倉田が顔を近づけてきて小声で聞いてくる。 「楊海となに話してたんだよ? なんか情報引き出せたか?」 「あほ! 逆に引き出されたんだよ! お前がオレのこと兄弟子って言ったせいで、年聞かれたぞ」 小声で返しながら、倉田の足を蹴り上げてやった。 「痛ぇなあ! なんだよ、教えてやろうと思ったこと、教えないぞ」 倉田が子供のように口を尖らせる。というか、その言動もすでに子供だろうが。 「なんなんだよ? なんなら帰ったっていいんだぜ」 そう返すオレも子供レベルか。 「ん〜」 やがて倉田はすっとぼけた表情で言いやがった。 「楊海はホモって噂だから、気をつけろよな。子供好きらしいから、お前なんか危ないんじゃないの」 有無を言わさず、オレは倉田の腹にパンチを決めた。 物音と倉田のうめき声にみながこちらを振り返ったのは一瞬で、対局開始が告げられた途端、みなの視線は映し出されるモニターに集中した。もちろん、倉田もオレも。 そのときになって初めて、オレは対局者の名前を見た。 (塔矢アキラが副将――? じゃあ大将は……) 進藤ヒカル、ああ、あの手合いサボってたってヤツか。 「思い切ったな、倉田」 北斗杯にさほど関心がなかったオレでも、塔矢アキラVS高永夏戦がいちばん楽しみだなって巷で囁かれていたのは知ってる。もちろん、塔矢アキラの強さも、直接対局したことはまだないけれど、その棋譜から充分に高位段者と同じくらいの実力の持ち主だって分かる。 でも進藤ヒカル――倉田に棋譜並べて貰ったことがあるけれど、妙なんだよな、こいつ。熟練と未熟を併せ持つ感じがした。しかし―――― 「これは面白くなりそうな一局だな〜」 「だろ? もそう思うよな」 倉田が満面の笑みで振り返った。 「進藤ってなに? 短期間でそこまで力つけたってわけ?」 「まだ危なっかしいとこもあるけどな」 「危なっかしいどころか、危ないんじゃないですか〜?」 と、口を挟んできたのは古瀬村さんだ。 「くんは、進藤くんで不安じゃないの? 今日の組み合わせが発表されてから、高永夏戦は捨てて、副将と三将で勝つつもりなんじゃないかって、みんな騒然となったんだから」 着いたばかりのとき、会場が煩かったのはそのせいか。 「でも古瀬村さん、倉田は――」 と言ったオレの声と、 「だから何度も言うけど、俺はね」 と、言った倉田の声が重なる。 『そんな卑怯な真似しないって!』 一字一句同じ言葉を返してしまって、オレたちは笑い出す。 「大丈夫ですよ、古瀬村さん。倉田がいけるって判断したんですから。コイツの勝負勘が強いの、知ってるでしょう?」 「くんまでそう言うんなら、進藤くんでも大丈夫なのかなぁ。ま、進藤くんでも誰でも、高永夏を倒してくれるなら、それでいいけどねっ!」 なんか古瀬村さんが打倒高永夏に異様に燃えてるような気もするけど、なにかあったのか。ま、いっか。対局、対局。 「あ、でも倉田。このオーダーだと、確実に文句を言うヤツがひとりだけいるぞ」 「へ〜、誰だよ、それ?」 倉田はモニターから目を離さずに、上の空で答えた。だからオレはその耳に言ってやった。 「“倉田! どうしてアキラが大将じゃないんだっ! いちばん強いのはアキラだろ!”」 倉田が口をヘの字にして振り返る。 「似てた? いまの芦原のモノマネ」 「似てない!」 倉田は即答して画面に戻ってしまったが、ブツブツ呟いているのは聞こえるぞ。 「……芦原なら、言うだろな。でも、俺が決めたの。これでいいの。塔矢も、進藤も勝てばいいの」 そ。塔矢も、進藤も、勝てば、芦原の文句も少なくなるだろうけどね。 (あ〜あ、ここに芦原もいれば面白いのに) そう思いながら、オレはモニターに視線を戻した。 *あとがき* 「倉田の腹にパンチを決めたい!」それだけのために書き始めたお話でした。コミックスが出る前に書いたものなので、原作と違うところがありますが、修正不可能でしたのでそのままにしてあります。コミックスを見ながら二年ぶりに続きを書いてみましたので、よかったらどうぞ。 |