計画笑顔 1
社長室には五人の人間がいた。
ノックをして扉を開ける――左腕に抱える日本茶を乗せたトレイを揺らさないよう、細心の注意を払って頭を下げながら、は室内にいる人物を素早く確認した。 まず、この会社の取締役社長である望月建雄。その背後に総務部部長である早坂久宜が立つ。社長の向かいに座っているのは、今回の客である人物達――女子高生探偵の桂木弥子と、その助手。 (資料通り、国籍不明の男ですね……) この望月信用総合調査のあらゆるネットワークを使っても、『脳噛ネウロ』という名前以外なにも掴めなかった――いや、その名前すら、本名ではないだろう。 (今回の計画、本当にうまくいくのか――) 望月はいつも入念に情報を調べた上で、綿密な計画を立てる。石橋を叩いて渡る――どころか、土壌、川の流れ、石の素材から施工する職人まで吟味して、石橋を造ってから渡るような人物なのだ。 なのに今回に限って、このネウロという人物にはなんの資料もないまま、桂木弥子を取引の隠れ蓑に使う計画を立てている。もちろん、望月の決めた計画に口を挟む気はとてない。だが、が気に入らないのは、この計画の陣頭指揮を執っているのが、望月の背後にいる早坂久宜だということだった。 (早坂さんには、なにか考えがあるようですが……) が引き抜かれ、望月の秘書となるずっと以前から、早坂はこの会社で働いている。いわば望月の片腕だ。笑顔の鎧をまとい、相手を油断させて情報を引き出しつつもこちらの顔色は一切窺わせない――そんな望月の教えを完璧に修得した彼の思考は、同じ会社の人間であっても、には窺い知ることはできなかった。 (この状況に、いささか不満を抱いている人物がもうひとり――) は、入ってきた扉の右手の壁に、軽く寄りかかるようにして立っているユキの存在を確認していた。秋口だというのにファーのついたロングコートを着た彼は、望月の教え通りにうっすらと笑みを浮かべているのだが、全身から、この状況に不服そうな空気が伝わってくる。 早坂の推薦で入社したユキは、より若く、この会社にも浅い。トラブル処理班という名の死刑執行部の長を務めていることもあって、すでにこの会社になくてはならない人物になっているのだが、若いだけあって、素直な感情を抑えきることができないらしい。 (まだまだ、ですね) 右側から感じるユキの視線を笑顔で受け流しながら、は「いらっしゃいませ」とテーブルの脇に立ち、お辞儀をした。 無駄のない優美な仕草で、はトレイに乗せた茶を並べる。まず主賓である探偵に、次にその隣の助手に。そして最後に望月の前に――その瞬間、望月と目で計画が順調であることを確認しあった。 茶をだしたとき、探偵は明らかに『茶菓子はないんだ』というがっかりした顔をした。女子高生探偵が常人の範疇を超えるほどの大食漢であることは、すでに調査済みなのだ。 「失礼しました」 再び頭を下げて社長室を辞したは、探偵を喜ばせるために用意された宴の最終チェックへと向かったのだった。 「引き受けたのですか、料理には手をつけずに」 飲み物を運ぶ頃合いを窺っていたは、探偵と助手が帰っていくのを察知し、急いで室内へ向かった。早坂とユキともすれ違い、ひとり望月が残っている姿を見たとき、交渉は決裂したのかと思ったのだが。 「ああ、顔はつけていたがね」 なにがあったのか解らないが、望月の視線の先で、フカヒレの姿煮が無惨に崩れ、周囲にまき散らされていた。は素早く皿を下げるように指示を出し、テーブルを拭き始めた。 「申し訳ございません。香港から呼び寄せた料理人だったのですが。やはりデザートバイキングを先に用意すべきだったのでしょうか……」 女子高生であることを考慮して、このあとにフランスから呼び寄せたパティシエにデザートバイキングを作らせていたのだが、の采配は無駄に終わってしまった。 探偵を調査した資料からの推測では、探偵がこの件を引き受ける確率は5%しかなかった。だからその成功率をあげるために用意されたのが、これらの料理なのだ。断られても、一皿だけでもと口にさせる。だが食べ始めれば次から次へと止まらなくなり、最後にはデザートまで食べさせ、断るなら代金を請求し、引き受ければさらに謝礼を出すというところまで持って行く計画だった。 に与えられた仕事は、一口食べたらやめられなくなるほどの腕を持った料理人を探すこと。それに相応しい料理人を見つけ、材料を調達し、この席を調えた――はずだったのに、探偵は料理には手をつけることなく、この会社の広告塔になることを引き受けてしまった。 「いや、料理にはかなり惹かれていたよ。まぁ金のほうもかなりちらつかせたから、その金で好きな物を食べようと思ったのかもしれないね。あの年頃は、ハンバーガーが世界で一番美味しい食べ物だと思ってたりすることもあるからね」 確かに資料によると、桂木弥子はたこ焼きやうどんなどもよく食べていたが、だからこそ、普段食べられないもの≠ノ対する執着心をあおることができると考えて中華を選んだのだが――まさか失敗するなんて。 「申し訳ございません」 はテーブルの汚れた場所を片付けると、再び望月に頭を下げた。 「いいの、いいの。結果的には、計画通り進んでるんだから」 失敗を笑顔で許す望月に、は安堵したのだが、やはり不安は残った。 (本当に、今回の計画は予想外なことが多すぎる……) 「では、残ってしまった料理は、わたしがいただくとしようか……でもさすがにわたしひとりでは食べきれないね。早坂を呼んできなさい」 「かしこまりました」 は部屋を出ると、早坂の行方を捜した。 しばらく行ったさきの廊下で、はユキと早坂の話し声に気づき、近づいてゆく。 「彼の情報はわたしも入手してる――うちの会社に引き抜こう」 早坂の声が聞こえ、は立ち止まった。どうやらまた、早坂はこの会社に新たな人材を入れることを計画しているらしい。 (計画の進行中に、新しい人間をいれるなんて――) 基本、この会社は社長である望月自らがスカウトした人物だけで構成されている。だが早坂のように、ある程度の権限を持つ人物は、自分の手駒を自由に構成できる。それが社長の要望に応えるために必要だからだ。とて、望月の知らないコネクションをいくつも持っている。だが早坂の最近の行動は、なぜかに腑に落ちないものを感じさせた。 「おや、くんじゃないか」 話を終えた早坂が、立ち止まっていたに気づき、近づいてくる。 は軽く目礼してから、用件を伝えた。 「ボスがお呼びです。料理を、一緒にどうかと」 「ああ、それは嬉しいですね。くんが選んだ料理人なら間違いはありませんから。ずっと楽しみにしていたんです。ありがたくご相伴させていただきますよ」 張り付いた笑顔のままの早坂に、すれ違いざまに軽く肩を叩かれる。その感触は、の違和感をいっそう高めたのだった。 *あとがき* 初めてしまいました。主人公は社長秘書! なんて趣味たっぷり連載。とりあえず早坂兄がゴールというだけで、あとは全然決めてません。 |