計画笑顔 2




 早坂に続く形で、望月のもとへ戻ろうとしていたは、急に足を止めて振り返った早坂につられるように足を止めた。
「ああ、くん」
 相変わらずの張り付いた笑顔からは、彼の意図はまったく読み取れない。
「なんでしょうか」
 対するも、薄い笑みを浮かべながら答えた。
「中華料理のほかに、デザートも用意してたんだよね?」
「ええ、不要になってしまったので、Tホテルに納品しようと思っていますが」
 もともとそのつもりだったのだ。調べによると、探偵はかなり、いや際限なく食べるとのことだったので、足りなくなっては困る。かといって、大量に残ってしまったものを廃棄することは、経費の無駄遣いになってしまう。なので、デザートバイキングを行っている有名ホテルに、余った分の菓子を買ってもらうことになっていた。もちろんこれは、望月の知らないのコネクションのひとつだ。
「そうですか。そのなかに、アイスはあります?」
「ええ、アイスクリームと、ソルベが何種類かあったと思います。早坂さん、甘い物も召し上がりますか?」
 突然話しかけてきた理由はそれか、とが思ったときだった。
「いえ、わたしではなく――」
 なぜか早坂はスッと身体を近づけてきた。
「トラブル処理班に、食べさせてもらえませんか」
 なぜ早坂がそんなことを言い出したのかよりも、近づかれたことのほうが気になってしまう。は空いていた壁側へ身体を引きながら答えた。
「トラブル処理班に、ですか」
「ええ、彼らも肉体労働が多いですから、甘い物でも食べて疲れを取ってほしいですしね」
「解りました」
 早くこの会話を終わらせたく、は簡潔に承知する。
「それと――」
「はい」
 まだなにかあるのかと早坂の言葉を待ったが、彼は言葉を続ける前に、再びへと近づいてきた。反射的に、は後じさったが、背後の壁に阻まれた。
(なにを考えてるんですか、この人は――)
 そうは思いつつも、も笑みを崩すことはなかった。
 同僚同士の会話にしては、かなり距離が近すぎるというだけで、身体に触れられているわけでも、押さえつけられているわけでもない。
(ギリギリまで見極めてから行動しないと)
 もそれなりの護身術の心得はある。この状況から抜け出すことはそう難しくはない。
 けれど先にのほうから手を出したり、変に騒いだりするのは得策ではない。早坂に弱みを握られることになるだろう。早坂が、目的のない行動をするとは思えない。
「なんでしょうか?」
 ことさら笑顔を作って、は早坂の出方を待った。
 スッと、早坂がの耳元へ顔を寄せる。
くん、キミも一緒に食べるといい。甘い物、好きだったろう? 特にチョコレートが」
(なぜ――)
 知られているとは思わなかった。隠していたわけではないが、気づかれるような行動をした覚えもない。しかも、特に一緒にいるわけでもないこの早坂に。
 笑顔を作るのを忘れ、まじまじと早坂を見返してしまう。だがすぐそばにある早坂の瞳に浮かんでいる笑顔の鎧に、自分の失態を悟る。
「――そうさせていただきます」
(まだまだ、ですね。ぼくも――)
 敗北を認めながら、は軽く目を伏せて答えたのだった。


 トラブル処理班に呼び出しをかけたのだが、現れたのはユキひとりだった。
「他の方々は?」
「早坂――さんの、用事で、出てますけど」
「そうですか」
 いささか腑に落ちない。わざわざトラブル処理班に食べさせろと言っておきながら、ユキ以外に用を言いつけているとは。
「それで、なにをすればいいんですか。早坂さんから、さんを手伝うように、言われてます」
 いかにも不満そうにを見つめるユキから、早坂の意図を理解した。
(ああ、そう――。ユキにだけ食べさせればいいということですか)
「お手を煩わせてすみませんが、片付けを手伝っていただきたいんです」
 はユキを伴って、社員食堂へ向かう。きょうは社員は使用禁止になっていて、椅子やテーブルを片付けたスペースに、特別に調理場が設けられているのだ。
 はパティシエに、残念ながらゲストが帰ってしまったことと、これらの菓子はホテルに納品させてもらうということを告げる。残念そうな顔を見せたフランス人のパティシエに、が言葉をかけると、彼は急に笑顔になって、皿に菓子を盛りつけ始めた。
「ユキ――」
 は振り返って、ユキを呼び寄せる。
「不要になってしまったこれらの菓子をホテルに納品するんですが、その前に好きなものを頂いてよいそうです。あなたはどれにしますか?」
「え? 俺は、別に……」
 明らかに戸惑っているユキに、は皿を差し出しながら、魔法の呪文を使ってみる。
「あなたが適任だと言われました――早坂さんに」
「え…? あ…、そう。なら――」
 恥ずかしいのか、ユキは目を逸らしながら皿を受け取ると、大量に並べられたシュークリームや、カットされる前のケーキ類を眺めていた。
 パティシエは、皿に小さなケーキ三点とフルーツを乗せ、脇にアイスクリームをデコレーションんしていた。ユキが彼に話しかけ、皿を渡す。
 三分後、ユキへと手渡された皿は、見事にアイスとソルベだけが十種類くらい乗っているものだった。
(アイス――ね)
 どうやらユキの好物も早坂は知っているらしい。いや、早坂とユキは特別な関係にあるらしい。こんなふうに、特別扱いするくらいには。
(これは、早坂さんの弱みになる……かな)
 いや、ならないだろう――すぐに答えは出る。に知られて困るくらいなら、こんなことはさせないはずだ。
「この時間なら、第八会議室が空いているはずです。そちらで食べましょうか」
 すぐに運送を頼んだ業者が入って、菓子を納品する手はずはつけてある。そんななかでゆっくり食べてはいられないので、はすぐ上の階にある小会議室へとユキを誘った。
 先に食べていてくださいと、ユキを残し、は給湯室へ向かう。ユキが飲むかどうか解らないので、紅茶を入れたポットと、二つのティーカップをトレイに乗せて、は部屋へ戻った。
 案の定、ユキに飲み物はいらないと断られたので、自分の分だけを入れて、スプーンを手に取った。
 見ると、ユキの皿はすでに半分近くなくなっている。どうやら本当にアイスが好きらしい。無表情を装っていたが、口元にはやはり隠しきれない笑みが見える。
「なんだよ…」
 の視線に気づいて、ユキがぶっきらぼうに言う。
「いえ、アイスクリーム、お好きなんだなぁと思いまして」
「好きで悪いのか?」
 ユキはを睨みつけてくる。どうやら言葉遣いが悪くなっていることにも気づいていないようだ。
「いいえ。わたしも、甘いものは好きですから」
 そう言って、も自分の皿の上に盛られていたバニラアイスを掬った。バニラビーンズの甘い香りが舌の上でふわりととろける。
「美味しい……」
「だよな! これかなり美味いよな」
 の呟きに反応したユキは、見たこともない笑顔を浮かべていて。
(作り物ではない笑顔を、久しぶりに見た気がします)
「ええ、そうですね。本当に美味しいです」
 も久しぶりに心から、笑えた気がした。
 数時間後、第八会議室の監視カメラの映像データが早坂久宜のパソコンに転送されていたが、気づいたものは社内にはいなかった。



*あとがき*   キャラがいまいち掴めていなくて偽物くさいのはご愛敬(特にユキ)……すみません。次は、笹塚あたりと遭遇できたらいいなと思ってます。