計画笑顔 3




(気に入りません、ね……)
 テレビから流れる必要以上に騒がしいCMを横目で見ると、はその形のよい眉を微かに顰めた。望月信用総合調査――自社のコマーシャルフィルムは、いま話題の女子高生探偵を起用した、ポップでキュートを目指したといったら聞こえはいいかもしれないが、ただの無駄に下品なものだった。
 今回はもちろん、桂木弥子を陥れるための戦略だから仕方ないとはいえ、自分の会社がこんなくだらないCMを本気で作っていると思われるのは、にとっては不快なことだった。
(社長は、これからもずっと麻薬取引を続けられるおつもりなんでしょうか)
 が望月にヘッドハンティングされたときから、ただの調査機関とは違っていた。調べ上げられないことはないらしいという評判は、かなり黒い意味を含んだものだった。
 でも、だからこそ興味を持ったのは事実だ。知識や情報という形のないものをどう駆使して利益を生み出すのか、その駆け引きを知りたいと思った。
 そんな打算的な思惑を持って望月の秘書になっただったが、望月の持っているネットワークは実に幅広く、彼はそれを惜しげもなくに披露し、使うことを許してくれた。
 知識を吸収することは楽しく、自身も興味のある分野を次々と開拓することができた。望月はそんなの行動を咎めるどころか、常に笑顔で褒めてくれるのだ。寛容で寛大、望月はにとって、実に理想的な上司だった。
 そんな望月が、麻薬取引を行っていると知らされたのは、すっかりがこの会社に落ち着いてからのことだった。
 情報取引だけでなく、物資の輸入貿易にも手を出していることは知っていたし、その方面を取り仕切っている早坂は、社長室に頻繁に出入りしていることもあって、入社当時からよく知ってはいたのだが。
 正直、いい気持ちはしなかった。
 麻薬はそれだけでも莫大な利益を生む。しかしそれ以上に、望月の扱っている情報のなかで、裏を経由するもののほとんどが、麻薬を餌に取引されているのだと知らされた。
 なにもないところから利益を生むというのは、確かに困難なことなのかもしれない。だが、だからといって麻薬は、リスクが大きすぎると思う。
 できれば止めてもらいたいというのがの本音だ。だからこそ、麻薬に関わらないところで利益を上げようとさらに知識を高めているのだが――それを知っているのか、望月は必要以上に麻薬取引にを関わらせようとはしなかった。
 だが、今回は別だ。
 10トンを超える大量のコカイン。
 これだけの量を保持できれば、今後一切麻薬を取引しないで済むだろうと、そう言われた。だからこそ、全社を挙げて、この取引を成功させなければならない。
(でも、早坂さんの計画は、本当にそれだけなんでしょうか……)
 今回の計画はいままでと違いすぎる。はどうしても不穏なものを感じずにはいられなかった。


「今回も有力な情報をどうも。いつもながら望月さんのところの情報は早くて正確で、役に立ちますな」
「いいえ、これも国民としての務めですから」
 立ち上がって一礼すると、は警視庁の応接室を後にした。
 こうして月に二度ほど、警視庁に定期的な情報提供に来ている。それ以外にも、緊急な情報が入れば、その都度連絡する。
(明後日の十時には、大量の麻薬取引のタレコミがいきますよ)
 心のなかでそう思いながら、は警視庁の廊下を歩いていた。
(あれ、は――)
 向かいからだるそうに歩いてくるのは、スーツを着崩したやるきのなさそうな男と、その背後できゃんきゃんわめいている小動物のような男だった。
 警視庁捜査一課の刑事、笹塚衛士と石垣筍だ。
 すれ違いざま、は笹塚に軽く会釈した。
「ん。あ――」
 立ち止まった笹塚の視線に気づき、も足を止めて振り返る。
「アンタ、確か望月さんトコの――」
「ええ、望月の秘書をしております。と申します」
 もう一度、軽く頭を下げる。名刺を出す必要はないだろう。
「見たよ、CM。……ずいぶん、変わったことしてるんだな、望月さん」
「ええ……、まぁ、そうですね」
 あれは探偵に近付くための口実――という偽の事実があとで明かされることになるのだから、はっきりと肯定も否定もしないほうがいい。
「ところで、アンタさ」
 急に、目の前に立つ笹塚の空気が変わった。ごく僅かだが。
「……先週の金曜、新宿の『R』って店に、いなかったか?」
 やはり、そうだったか。確かにあの夜、その店で、この刑事を見かけたのは、見間違いではなかったらしい。
「それは――職質ですか?」
 にっこりと微笑んで、は返した。
「……いや」
 軽く首を振って、笹塚は否定する。だが目線だけスッと、に向けてきた。
「アンタみたいな人を、見かけた気がしたんでね」
「――その店で、ですか?」
 は言葉に含みを持たせながら、笹塚に問う。
 その店は、狭く薄暗い地下に、カウンターと小さなテーブルが並ぶ、一見普通のバーだが、看板も出ていなければ、メニューもない。ただ壁に、なにやら暗号のような小さなメモがいくつも貼られているだけで。
 そこは、情報屋に繋ぎをつけられる店なのだ。
 ネット社会が発達したからこそ、まったく相手に会わずに取引を完了されることも可能だ。だが、情報屋はその掴んでいる情報によって常に命の危険に晒されていて、始終そのねぐらを変えている者も多い。だから連絡がつかなくなったとき、最後に頼るのはとてもアナログな方法なのだ。この店の壁に、メモを貼るという。
 その店を知っているということは、少なからず裏社会について繋がりがあるということ――捜査一課の、現役の刑事であるはずのこの男が。
「……ああ」
 拍子抜けするほどあっさりと、笹塚は認めた。肯定したということは、笹塚自身がその店にいたということだ。
(以前から、見かけ通りの人間ではない気配がすると思ってましたが……)
「あまり刑事さんが行かれるのに相応しい店ではないと思いますが――わたしもたまに行くことがありますので、そうですね……あちらでお会いしたら、一杯奢りますよ」
「それは……楽しみだな」
 微笑んだに、笹塚も心持ち唇の端を上げて返す。どうやら相当に、この刑事は侮れないらしい。
「ちょっと、先輩! なにナンパしてんですか!」
 突然、ふたりの間に石垣が分け入ってきて。
「あ――…、ナンパ?」
 再び気だるそうな空気に戻った笹塚に一礼して、はその場を去った。
(どうやら、少し調べる必要があるかもしれませんね)
 タクシーに乗り込みゆっくりと警視庁を離れながら、は微かにため息を漏らした。




*あとがき*   どんだけ自分、もっちぃが好きなんだというお話になってきたような……。いや、あくまで最終的にはアニキなんですが。次はリクエストいただいたので吾代を出しますよー。