ホンマの気持ち?



「金ちゃーん!」
 四天宝寺の準々決勝は、東京の不動峰が相手だった。
「金太郎ー! どこやー!」 
 二戦目は控えだった金太郎は、気がついたらその姿を消していた。
 四天宝寺テニス部の三年だが、レギュラーではないがこうして金太郎を捜しにいくのはいつものこと。とはいえ、来慣れないこの試合会場では、なかなかその姿を見つけることができない。
「あわわわ〜っ!」
 聞こえてきた叫び声にが振り向くと、少し離れた場所の木の上から金太郎が落ちてくるところだった。
「金ちゃん!」
「いてて……足滑らしてもうてん」
 地面に伏している金太郎のところへ、も急いで駆け寄る。
 すると、次に聞こえてきた叫び声は。
「ど、泥棒よ! 誰か捕まえてーっ!」
 見ればローラーブレードで逃げていく男の手に、ハンドバッグが握られている。
 その場にいた誰よりも早く反応したのは、青いジャージを着た小柄な少年。
 続いて、金太郎も動いた。ふたりの打ったボールが、引ったくり犯に当たる。
(アイツ……)
 咄嗟に植え込みを避けるような回転を掛けてボールを打った少年に気を取られ、はつい金太郎から視線を外してしまっていた。
「めっちゃウマイでぇ」
 聞き慣れたその声に、はっとして振り返る。
「金ちゃん! また勝手に人様のモン食うて!」
「なんや、ちゃんと食うてもええかって聞いたわ」
 慌てて駆け寄ったに、金太郎は口を尖らせてそっぽを向く。
「ええゆうまで離れんかったりしたんやろ?」
「ちゃうてー」
「ゴメンなぁ、コイツすぐ腹減らしてなんでも食いよるねん。嬢ちゃんの弁当ダメにしてもうて、ホンマ、ゴメンなさい」
 少女に頭を下げたの横で、金太郎は素知らぬ顔で、もう一つ手にしていたおにぎりにかぶりついている。 
「なにやっとんねん! 金ちゃんも謝れや」
「だからええて――せや、あれコシマエなんやで! なぁコシマエ、ワイと勝負……」
「ヤダ」
 金太郎が指さした先にいたのは、さっきの少年。彼は金太郎の誘いを、即答で断った。
(ああ、やっぱりアイツ、青学の越前やったんか。身長だけなら、金ちゃんと大差な――って、 こないなことしとる場合やなかったっ!)
「金ちゃん、はよ戻らな! 試合や! 準々決勝、シングルス3て言われてたやろ?」
「なんやー、いまええとこやん。なぁ、コシマエと試合させてー。なぁ、なーあー? ええやろー?」
 じっと見上げてねだる金太郎は、その身長差から自然と上目遣いになるわけで、はこれにとても自分が弱いことを自覚している。ついチラリと越前の様子を窺ってしまうが、彼は関係ないというふうに顔を逸らしていた。
 けれどそうではなくても、いまはこんなことをしている時間ではない。
「なぁ、金ちゃん。コシマエとの試合もええけど、その前に準々決勝やろ? 俺、金ちゃんが勝つとこ見たいわ」
「せやけど、弱いヤツとやってもおもろないわー」
 かなりひどいことを言っているが、事実、金太郎は四天宝寺レギュラーのなかでいちばん強いのだ。全国大会とはいえ、金太郎の相手ができるプレイヤーがそうそういるはずはない。
「ほな、さっさと試合終わらせて、コシマエにもういっぺん頼んでみたらええやん。なぁ? 俺、金ちゃんがぱぱっと勝ってまうとこ見たいわー」
 が必死で金太郎をおだてると、彼もようやくその気になったようだった。
 そこへタイミング良く「金太郎さーん! 出番や、出番!」という小春とユウジの呼び声が掛かる。
「コシマエ、待っとってな。はよ戻るわ!」
 笑顔で駆けていく金太郎の後を追う前に、は少女と越前に頭を下げた。
「お騒がせして、ホンマ、ゴメンなさい」
「あ、いえ……」
 戸惑う少女の横で、越前はを睨むように立っていた。
(三白眼でごっつう睨んでくる――ね。ホンマ、謙也くんのゆうてた通りやん)
「ほな、越前くん、また準決勝でなー」
 思わず笑いをかみ殺しながら、もそう言い残す。四天宝寺が不動峰に勝つことは、も確信していることだった。


「お疲れさん、
 コート脇に並んでいる仲間の元へ戻ると、軽く手を挙げて白石が声を掛けてくる。
 笑顔で近づいて、は白石の横に立ったのだが、すぐに先ほどの出来事を思い出した。
「スマン、白石。困ったことに、金ちゃん、あそこに青学の越前を見つけてもうて。試合したいゆうとるんや」
「そりゃアカンやろ」
 白石からすぐに返ってきたのは、予想通りの答え。
「せやけど、公式戦でふたりが確実に当たるかどうか、解らへんやろ? 試合させたげたいわ」
 十センチほど高い白石を窺うように見上げる。
……ジブン、金ちゃんに甘すぎやで」
 軽くため息をついた白石に、責めるように睨まれて、思わずは目を逸らしてしまった。
「そそ、そないなこと、あらへん……」
 そうは言いつつも、金太郎の全開の笑顔が大好きで、あの全身で喜ぶ姿を見るためなら、できるだけのことはしてやりたいと思ってしまうのは、どうしたって止められないことで。
「いーや、あるやろ?」
 顔を背けたままのに、白石がスッと詰め寄って、その距離を縮める。
 動けないままのは、白石がフッと口元を弛めて顔を近づけてくるのに気づかなかった。
「金ちゃんばかりやのうて、俺にもあまくして欲しいんやけど?」
 突然、吐息と共に囁かれた優しい低音。
 試合中の喧噪のなかだというのに、しっかりと聞こえてしまったそれは、の胸を高鳴らせるのに充分で。
「しっ、しらっ!」
 は囁かれた左耳を抑えながら、言葉にならない声をあげて後退った。
「なんや、そない逃げられたらショックやわ」
 不敵に笑った白石は、手を伸ばして、放れてしまったの身体を引き寄せる。
 慌てて逃げようとしても、しっかりと肩を掴まれていて身動きがとれない。
「あ、あの……」
 もちろん思い切り突き飛ばせば逃れることはできるだろうが、白石相手にそこまでする必要はないのだから、躊躇ってしまう。
、俺んこと嫌いなん?」
「そないなこと……」
 嫌いなわけはない。ただ、恥ずかしいだけで。
「こと?」
 覗き込んでくる切れ長の瞳が尋ねている。
 白石は答えるまで放してくれないだろう。は恥ずかしさを必死でこらえて口を開いた。
「……あらへん」
「ほな、好き?」
 間髪入れずに返ってきたのは更なる難問。
 思わず目を見開いて白石を見返してしまったに、白石は艶然と微笑む。
 完璧と言われるプレイスタイルと同じように、無駄なく整った顔立ち。そんな美形に間近で微笑まれて、平静でいられるヤツがいるだろうか。
 思わず顔を背けてしまったの耳元で、またも白石が囁く。
「金ちゃんにはスキ≠ト、ようゆうとるのに、俺には言えへんの?」
「それは――」
 確かに金太郎相手には、好きという言葉をよく口にしている。けれどそれは、我が儘をいう金太郎をなだめるときに『金ちゃんのことスキやから言うとるんやで、意地悪と違う』と言っているだけだ。
 金太郎のことは可愛いし、大好きだ。けれどそれは、手の掛かる小さな弟に対する愛情のようなもので、白石への気持ちとは違う。
「それは? なぁ、?」
 金太郎が相手だったら、こんなふうに触れられたり、顔を近づけられたり、耳元で囁かれたって、ドキドキすることはないだろう。
「白石、は、放して……」
「ダーメ。言うまで、放さへんで」
 いっそう強く、肩を掴まれる。白石の顔もさらにアップになり、もう頬と頬が触れてしまいそうなほど近い。
「白石ぃ」
 名前を呼ぶ声は、我ながら情けないものになってしまう。
 けれど許して欲しい。本当の気持ちだからこそ、そう簡単に口にはできないのだから。
「ユウくん!」
「小春!」
 突然、背後から聞こえてきた小春とユウジの声。そう、ここは準々決勝のコート前。背後にはテニス部の仲間達がみんないたわけで。
 みんなに見られていたかと思うと、恥ずかしさのあまり慌てては白石の身体を押し返す。けれど少しだけ自由になれたの目に飛び込んできたのは。
「ウチらも負けへんでぇ!」
 そう叫んで抱き合う小春とユウジの姿だった。
「先輩ら、キモイっす。でもまぁ、先輩ならアリかな」
 財前がそう呟いたことに、は気づかなかったが、白石はピクリと反応して振り返る。
「なんやぁ、財前。いま、なにやら聞き捨てならんこと、聞いたような気ぃしたんやけど?」
 鋭い白石の視線を浴びて、自分の失言を知った財前は、慌てて口を開く。
「い、いや……先輩――と、白石先輩ならアリやろなて、そう思うただけっすわ」
「ああ、そうなん? そんならええんや」
 満足したように、白石が笑みを浮かべる。間近でそれを見たは、会話の意味がよく解っていなかったが、いくぶん自由になった顔を動かして、金太郎の試合が相手の棄権で終わってしまった事を知る。
 試合の終わった金太郎は、早速コートを抜け出し、越前たちがいた場所へ走って行ってしまった。
「待って、金ちゃん!」
 が叫んでも、金太郎が止まることはなく。
「頼む、白石。放して」
 ここでダメだと引き寄せてしまうのは簡単だ。けれど白石も引き際は心得ている。
 白石は観念して両手を挙げた。
 すぐに金太郎の後を追うと思っただが、金太郎の行き先を気にしながらも、チラチラと白石を見上げてくる。
「す、すぐ……」
「ん?」
「金ちゃん連れて、すぐに戻ってくるからなっ!」
 頬を染めてそう叫ぶと、は逃げるように走り出した。
「……手強いなあ」
 その後ろ姿を見送りながら、白石は嬉しそうに呟く。
「さて。金ちゃんと――、連れ戻しに行ってくるわ」
 有無を言わせない調子で仲間達にそう言い残して、白石もゆっくりと歩き始めた。




*あとがき*   ああもう、四天宝寺が好きすぎる! という気持ちのまま突っ走ったら、こんなものが出来ていました。白石夢というより、四天夢みたいだなぁ。リクエストいただいたので、続き書きました!